・・・が、それよりも先にこの三年間、彼に幾多の艱難を嘗めさせた彼自身の怨敵であった。――甚太夫はそう思うと、日頃沈着な彼にも似合わず、すぐさま恩地の屋敷へ踏みこんで、勝負を決したいような心もちさえした。 しかし恩地小左衛門は、山陰に名だたる剣・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・ 半三郎はこのほかにも幾多の危険に遭遇した。それを一々枚挙するのはとうていわたしの堪えるところではない。が、半三郎の日記の中でも最もわたしを驚かせたのは下に掲げる出来事である。「二月×日 俺は今日午休みに隆福寺の古本屋を覗きに行った・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・ ――世間は必ずわたしと共に、幾多の特色を数え得るであろう。彼の構想力、彼の性格解剖、彼のペエソス、――それは勿論彼の作品に、光彩を与えているのに相違ない。しかしわたしはそれらの背後に、もう一つ、――いや、それよりも遥かに意味の深い、興味の・・・ 芥川竜之介 「「菊池寛全集」の序」
・・・天地この時、ただ黒雲の下に経立つ幾多馬の子ほどのお犬あり。一つずつかわるがわる吠ゆる声、可怪しき鐘の音のごとく響きて、威霊いわん方なし。 近頃とも言わず、狼は、木曾街道にもその権威を失いぬ。われら幼き時さえ、隣のおばさん物語りて――片山・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・この後とても、幾多の女に接し、幾たびかそれから来たる苦しい味をあじわうだろうが、僕は、そのために窮屈な、型にはまった墓を掘ることが出来ない。冷淡だか、残酷だか知れないが、衰弱した神経には過敏な注射が必要だ。僕の追窮するのは即座に効験ある注射・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・図は四条の河原の涼みであって、仲居と舞子に囲繞かれつつ歓楽に興ずる一団を中心として幾多の遠近の涼み台の群れを模糊として描き、京の夏の夜の夢のような歓楽の軟かい気分を全幅に漲らしておる。が、惜しい哉、十年前一見した時既に雨漏や鼠のための汚損が・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・それにもかかわらず絶倫の精力を持続して『八犬伝』以外『美少年録』をも『侠客伝』をも稿を続けて連年旧の如く幾多の新版を市場に送っておる。その頃はマダ右眼の失明がさしたる障碍を与えなかったらしいのは、例えば岩崎文庫所蔵の未刊藁本『禽鏡』の失明の・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・とは、いうもの、この間、街頭の響きから、人間との接触から、そこに感じられた複雑な人生の幾多の変遷と推移が、文壇の上にも、もしくは、他の社会の上にもあったことを考え出さずにはいられません。私自身にとっても、憧憬、煩悶、反抗、懐疑、信仰、いろ/・・・ 小川未明 「机前に空しく過ぐ」
・・・ 人間のまれにしかゆかない山とはいいながら、その長い間には、幾多の変化がありました。人の足の踏み入るところ、また手のとどくところ木は切られたり、また持ち去られたりしたのであります。そして、それは人間ばかりとかぎっていなかった。 ある・・・ 小川未明 「しんぱくの話」
・・・彼等は、幾多の女と関係したことを書く。淫蕩な事実を描く、肉欲を書き、人間の醜い部分と、そして、自分達、即ちブルジョア階級がいかにして快楽を求めつゝあるかを告白する。しかし、余程の低劣な作家にあらざる限り、これ等の事実を提供して、読者に媚びよ・・・ 小川未明 「何を作品に求むべきか」
出典:青空文庫