・・・或る外国の神学者は、旧約以降のサタン思想の進展に就いて、次のように報告している。すなわち、「ユダヤ人は、長くペルシャに住んでいた間に、新らしい宗教組織を知るようになった。ペルシャの人たちは、其名をザラツストラ、或いはゾロアスターという偉大な・・・ 太宰治 「誰」
・・・両者の意嚮の間には、あまりにもひどい懸隔があるので、母は狼狽した。チベットは、いかになんでも唐突すぎる。母はまず勝治に、その無思慮な希望を放棄してくれるように歎願した。頑として聞かない。チベットへ行くのは僕の年来の理想であって、中学時代に学・・・ 太宰治 「花火」
・・・洗濯をすまし、鬚を剃って、いい男になり、部屋へ帰って、洗濯物は衣桁にかけ、他の衣類をたんねんに調べて血痕のついていないのを見とどけ、それからお茶をつづけさまに三杯飲み、ごろりと寝ころがって眼をとじたが、寝ておられず、むっくり起き上ったところ・・・ 太宰治 「犯人」
・・・と私の意向を、うまく言い当てた。 私は苦笑して、その散髪屋のドアを押して中へはいった。私自身では気がつかなかったけれど、よその人から見ると、ずいぶんぼうぼうと髪が伸びて、見苦しく、それだから散髪屋の主人も、私の意向をちゃんと見抜いてしま・・・ 太宰治 「美少女」
・・・二十日以降、注射一本、求めていません。私にも、責任の一半を持たせて下さい。注射しなけれあいいんでしょう?」「いいえ、保証人から全快までは、と厳格にたのまれてあります。」ただ、飼い放ち在るだけでは、金魚も月余の命、保たず。いつわりでよし、プラ・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・三方四方がめでたく納まった話であるから、チルナウエルは生涯人に話しても、一向差支はないのである。 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ 宅へ帰って昼飯を食いながら、今日のアドヴェンチュアーを家人に話したが、誰も一向何とも云ってくれなかった。 庭に下りて咲きおくれた金蓮花とコスモスを摘んだ。それをさっき買った来た白釉の瓶に投げ込んで眺めているといい気持になった。・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・堀に沿うて牛が淵まで行って道端で憩うていると前を避難者が引切りなしに通る。実に色んな人が通る。五十恰好の女が一人大きな犬を一匹背中におぶって行く、風呂敷包一つ持っていない。浴衣が泥水でも浴びたかのように黄色く染まっている。多勢の人が見ている・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・この室は女の衣装を着替える所になっていたので、四面にずらりと衣桁を並ベ、衣紋竹を掛けつらねて、派手なやら、地味なやらいろんな着物が、虫干しの時のように並んでいる。白粉臭い、汗くさい変な香がこもった中で、自分は信乃が浜路の幽霊と語るくだりを読・・・ 寺田寅彦 「竜舌蘭」
・・・ 人丸山で三人はしばらく憩うた。「あすこの御馳走が一番ようおましゃろ」雪江は言っていた。 私たちは海の色が夕気づくころに、停車場を捜しあてて汽車に乗った。海岸の家へ帰りついたのは、もう夜であった。 私はその晩、彼らの家を・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
出典:青空文庫