・・・お前たちにおれは、これを遺産として、永遠の領地として、贈ってやる。さあ、仲好く分け合うのだ。」その声を聞き、忽ち先を争って、手のある限りの者は右往左往、おのれの分前を奪い合った。農民は原野に境界の杙を打ち、其処を耕して田畑となした時、地主が・・・ 太宰治 「心の王者」
・・・ 百五十万の遺産があったという。いまは、いくらあるか、かいもく、知れず。八年前、除籍された。実兄の情に依り、きょうまで生きて来た。これから、どうする? 自分で生活費を稼ごうなど、ゆめにも思うたことなし。このままなら、死ぬるよりほかに路が・・・ 太宰治 「悶悶日記」
・・・空腹を防ぐために子への折檻をひかえた黄村、子の名声よりも印税が気がかりでならぬ黄村、近所からは土台下に黄金の一ぱいつまった甕をかくしていると囁かれた黄村が、五百文の遺産をのこして大往生をした。嘘の末路だ。三郎は嘘の最後っ屁の我慢できぬ悪臭を・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・こういう人物が残した古文書的の遺産は、無駄なバラストとして記憶の重荷になるばかりである。どうしても古代に溯りたいなら、せめてサイラスやアルタセルキセスなどは節約して、文化に貢献したアルキメーデス、プトレモイス、ヘロン、アポロニウスの事でも少・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・これは多くの人々にとって最も安全な方法であって、こうすればめったに大きな失望やとんでもない違算を生ずる心配が少ない。そうして主要な名所旧跡をうっかり見落とす気づかいもない。 しかしこれとちがったやり方もないではない。たとえば旅行がしたく・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・ 動物や植物には百千年の未来の可能性に備える準備が出来ていたのであるが、途中から人間という不都合な物が飛び出して来たために時々違算を生じる。人間が燈火を発明したためにこれに化かされて蛾の生命が脅かされるようになった。人間が脆弱な垣根など・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・ 動物や植物には百千年の未来の可能性に備える準備ができていたのであるが、途中から人間という不都合な物が飛び出して来たために時々違算を生じる。人間が燈火を発明したためにこれに化かされて蛾の生命が脅かされるようになった。人間が脆弱な垣根など・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・また四月英国の閉塞隊がベルギー海岸のドイツ潜水艇の根拠地を襲撃した場合にも、味方の行動を掩蔽するために煤煙の障屏を使用しようとしたのが肝心の時に風が変って非常の違算を来たしたという事である。これらの場合に充分な気象観測の材料が備わっていて優・・・ 寺田寅彦 「戦争と気象学」
・・・ 故意に、また漂流の結果自由意志に反してこの国土に入り込んで住みついた我々の祖先は、年々に見舞って来る颱風の体験知識を大切な遺産として子々孫々に伝え、子孫は更にこの遺産を増殖し蓄積した。そうしてそれらの世襲知識を整理し帰納し演繹してこの・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・単に所有という点からいえば聊か富という念も起るが、それは親の遺産を受け継いだ富ではなくって、他人の家へ養子に行って、知らぬものから得た財産である。自分に利用するのは養子の権利かも知れないが、こんなものの御蔭を蒙るのは一人前の男としては気が利・・・ 夏目漱石 「『東洋美術図譜』」
出典:青空文庫