・・・君はすでに失格だ、それから腕力だって、例外なしにずば抜けて強かった、しかも決してそれを誇示しない、君は剣道二段だそうで、酒を飲むたびに僕に腕角力をいどむ癖があるけれども、あれは実にみっともない、あんな偉人なんて、あるものじゃない、名人達人と・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・ ことし、十二月下旬の或る霧のふかい夜に、この橋のたもとで異人の女の子がたくさんの乞食の群からひとり離れて佇んでいた。花を売っていたのは此の女の子である。 三日ほどまえから、黄昏どきになると一束の花を持ってここへ電車でやって来て、東・・・ 太宰治 「葉」
・・・はる、こうろう、も、それから、唐人お吉も、それから青い目をした異人さんという歌も、みんなあたしが教えたのよ。きょうはこれからみんなでお寺に集ってお稽古。うちへ帰るのがおそくなるでしょうから、兄さんにそう言ってね、日本の文化のためですからって・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・いかに言論の自由とは言っても、それは少しここに書くのがはばかりのあるくらいの、大偉人の名を彼は平然と誇らしげに述べて、「いいですか? これは確実な事ですが、しかし、当分は秘密にして置いたほうがいいでしょう。民衆の誤解を招いてもつまりませんか・・・ 太宰治 「女神」
・・・そして人々はあたかも急に天から異人が降って来たかのように驚異の眼を彼の身辺に集注した。 彼の理論、ことに重力に関する新しい理論の実験的証左は、それがいずれも極めて機微なものであるだけにまだ極度まで完全に確定されたとは云われないかもしれな・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・あらゆる思想上の偉人は結局最も意気地のない人間であったという事にでもなるだろうか。 魔術師でない限り、何もない真空からたとえ一片の浅草紙でも創造する事は出来そうに思われない。しかし紙の材料をもっと精選し、もっとよくこなし、もういっそうよ・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・どちらを見ても異人ばかりである。それが私には分らない言葉で話している。 高い旗竿から八方に張り渡した縄にはいろいろの旗が並んで風に靡いている。その中に日の丸の旗のあるのが妙に目に立って見えた。 連れの日本人はその連れのドイツ女の青い・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・どうせあんな異人さんのおかみさんになるくらいの人だからと下宿の主婦は説明していたそうな。しかし細君はごく大人しい好人物だというので近所の気受けはあまり悪い方ではなかったらしい。 主人のジュセッポの事を近所ではジューちゃんと呼んでいた。出・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・が action at a distance を無視したのでも、アインスタインが時と空間に関する伝習的の考えを根本から引っくり返して相対率原理の基礎を置いたのでも、いずれにしても伝習の権威に囚われない偉人の旋毛曲りに外ならないのである。・・・ 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
・・・尊崇している偉人や大家がたちまちにして凡人以下になったりするのではだれでも不愉快である。大概の錯覚は永久にだいじにそっとしておくほうがいいかもしれない。ただ事がらが自然科学の事実に関する限り、それを新聞社会欄の記事として錯覚的興味をそそるこ・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
出典:青空文庫