・・・ 今まで一句を作るにこんなに長く考えた事はなかった。余り考えては善い句は出来まいが、しかしこれがよほど修行になるような心持がする。此後も間があったらこういうように考えて見たいと思う。〔『ホトトギス』第二巻第二号 明治31・11・10〕・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・○僕も昔は少し気取て居った方で、今のように意気地なしではなかった。一口にいうとやや悟って居る方だと自惚れて居た。ところが病気がだんだん劇しくなる。ただ身体が衰弱するというだけではないので、だんだんに痛みがつのって来る。背中から左の横腹や・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・ 気味が悪いから鶏に投げてやると黄いコーチンが一口でたべて仕舞う。 又する事がなくなると、気がイライラして来る。 隣りの子供が三人大立廻りをして声をそろえて泣き出す。 私も一緒にああやって泣きたい。 声を出そうかと思って・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・ 自分は、一口に云えない感情で輝く海のおもてを見た。 СССРの、ほんとの端っぽが、ここだ。 モスクワからウラジヴォストクまで九千二百三十五キロメートル。ソヴェトは五ヵ年計画でここに新たな大製麻工場を建てようとしている。同時に、・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・その一句は、異様に彼の神経を刺戟した。まるで、その一度きりの日にさえ、妻の外出を止めるお前は良人なのかと云う詰問が含まれてでもいるようではないか。依岡の女中が一年にたった一度のクリスマスなんかと云うものか、この婆さん! 彼は、真白い、二・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・秀麿が目の前にいない時は、青山博士の言った事を、一句一句繰り返して味ってみて、「なる程そうだ、なんの秀麿に病気があるものか、大丈夫だ、今に直る」と思ってみる。そこへ秀麿が蒼い顔をして出て来て、何か上の空で言って、跡は黙り込んでしまう。こっち・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・小川は吭が乾くので、急須に一ぱい湯をさして、茶は出ても出なくても好いと思って、直ぐに茶碗に注いで、一口にぐっと呑んだ。そして着ていたジャケツも脱がずに、行きなり布団の中に這入った。 横になってから、頭の心が痛むのに気が附いた。「ああ、酒・・・ 森鴎外 「鼠坂」
・・・ だから母は不動明王と睨めくらで、経文が一句、妄想が一段,経文と妄想とがミドローシァンを争ッている。ところへ外からおとずれたのは居残っていた懶惰者、不忠者の下男だ。「誰やらん見知らぬ武士が、ただ一人従者をもつれず、この家に申すことあ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ 梶はすぐ初めの一句を手帖に書きつけた。蝉の声はまだ降るようであった。ふと梶は、すべてを疑うなら、この栖方の学位論文通過もまた疑うべきことのように思われた。それら栖方のしていることごとが、単に栖方個人の夢遊中の幻影としてのみの事実で、真・・・ 横光利一 「微笑」
・・・それを書かせる機縁となったのは、芥川の『或阿呆の一生』のなかにある次の一句である。「彼は『新生』の主人公ほど老獪な偽善者に出逢ったことはなかった」。藤村はそれを取り上げて、「私があの『新生』で書こうとしたことも、その自分の意図も、おそらく芥・・・ 和辻哲郎 「藤村の個性」
出典:青空文庫