・・・――そうして一体又あなたは、何を占ってくれろとおっしゃるんです?」「私が見て貰いたいのは、――」 亜米利加人は煙草を啣えたなり、狡猾そうな微笑を浮べました。「一体日米戦争はいつあるかということなんだ。それさえちゃんとわかっていれ・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・ただ庭先から川向うを見ると、今は両国停車場になっている御竹倉一帯の藪や林が、時雨勝な空を遮っていたから、比較的町中らしくない、閑静な眺めには乏しくなかった。が、それだけにまた旦那が来ない夜なぞは寂し過ぎる事も度々あった。「婆や、あれは何・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・「それは早田からお聞きのことかもしれんが、おっしゃった値段は松沢農場に望み手があって折り合った値段で、村一帯の標準にはならんのですよ。まず平均一段歩二十円前後のものでしょうか」 矢部は父のあまりの素朴さにユウモアでも感じたような態度・・・ 有島武郎 「親子」
・・・なぜ起立したのだか、フレンチには分からない。一体立たなくてはならなかったのか知らん。それともじっとして据わっていた方が好かったのか知らん。 一秒時の間、扉の開かれた跡の、四角な戸口が、半明半暗の廊下を向うに見せて、空虚でいた。そしてこの・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・もう少し気を広く持たなくちゃ可かんよ。一体君は余りアンビシャスだから可かん。何だって真の満足ってものは世の中に有りやしない。従って何だって飽きる時が来るに定ってらあ。飽きたり、不満足になったりする時を予想して何にもせずにいる位なら、生れて来・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ 二 畠一帯、真桑瓜が名産で、この水あるがためか、巨石の瓜は銀色だと言う……瓜畠がずッと続いて、やがて蓮池になる……それからは皆青田で。 畑のは知らない。実際、水槽に浸したのは、真蒼な西瓜も、黄なる瓜も、颯と・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・「気味の悪いことはないったって、一体変ね、帰る途でも言ったけれど、行がけに先刻、宿を出ると、いきなり踊出したのは誰なんでしょう。」「そりゃ私だろう。掛引のない処。お前にも話した事があるほどだし、その時の祭の踊を実地に見たのは、私だか・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 茫となって、辻に立って、前夜の雨を怨めしく、空を仰ぐ、と皎々として澄渡って、銀河一帯、近い山の端から玉の橋を町家の屋根へ投げ懸ける。その上へ、真白な形で、瑠璃色の透くのに薄い黄金の輪郭した、さげ結びの帯の見える、うしろ向きで、雲のよう・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・建てて数十年を経たる古家なれば、掃除は手綺麗に行届きおれども、そこら煤ぼりて余りあかるからず、すべて少しく陰気にして、加賀金沢の市中にてもこのわたりは浅野川の河畔一帯の湿地なり。 園生は、一重の垣を隔てて、畑造りたる裏町の明地に接し、李・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・平生聞ゆるところの都会的音響はほとんど耳に入らないで、うかとしていれば聞き取ることのできない、物の底深くに、力強い騒ぎを聞くような、人を不安に引き入れねばやまないような、深酷な騒ぎがそこら一帯の空気を振蕩して起った。 天神川も溢れ、竪川・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
出典:青空文庫