・・・また、それがないにしても、その時にはもう私も、いつか子爵の懐古的な詠歎に釣りこまれて、出来るなら今にも子爵と二人で、過去の霧の中に隠れている「一等煉瓦」の繁華な市街へ、馬車を駆りたいとさえ思っていた。そこで私は頭を下げながら、喜んで「どうぞ・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ 旦那の牧野は三日にあげず、昼間でも役所の帰り途に、陸軍一等主計の軍服を着た、逞しい姿を運んで来た。勿論日が暮れてから、厩橋向うの本宅を抜けて来る事も稀ではなかった。牧野はもう女房ばかりか、男女二人の子持ちでもあった。 この頃丸髷に・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・それから支那人が書いた本では、大清一統志、燕都遊覧志、長安客話、帝京――編輯者 いや、もう本の名は沢山です。小説家 まだ西洋人が書いた本は、一冊も云わなかったと思いますが、――編輯者 西洋人の書いた支那の本なぞには、どうせ碌な物・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・我我の魂はおのずから作品に露るることを免れない。一刀一拝した古人の用意はこの無意識の境に対する畏怖を語ってはいないであろうか? 創作は常に冒険である。所詮は人力を尽した後、天命に委かせるより仕方はない。少時学語苦難円 唯道工夫半・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・何しろ一刀とは申すものの、胸もとの突き傷でございますから、死骸のまわりの竹の落葉は、蘇芳に滲みたようでございます。いえ、血はもう流れては居りません。傷口も乾いて居ったようでございます。おまけにそこには、馬蠅が一匹、わたしの足音も聞えないよう・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
・・・何日だっけ北海道へ行く時青森から船に乗ったら、船の事務長が知ってる奴だったものだから、三等の切符を持ってるおれを無理矢理に一等室に入れたんだ。室だけならまだ可いが、食事の時間になったらボーイを寄こしてとうとう食堂まで引張り出された。あんなに・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・…… 遠山の桜に髣髴たる色であるから、花の盛には相違ないが、野山にも、公園にも、数の植わった邸町にも、土地一統が、桜の名所として知った場所に、その方角に当っては、一所として空に映るまで花の多い処はない。……霞の滝、かくれ沼、浮城、もの語・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ われら式、……いや、もうここで結構と、すぐその欄干に附着いた板敷へ席を取ると、更紗の座蒲団を、両人に当てがって、「涼い事はこの辺が一等でして。」 と世話方は階子を下りた。が、ひどく蒸暑い。「御免を被って。」「さあ、脱ぎ・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・岩淵から引返して停車場へ来ますと、やがて新宿行のを売出します、それからこの服装で気恥かしくもなく、切符を買ったのでございますが、一等二等は売出す口も違いますね、旦那様。 人ごみの処をおしもおされもせず、これも夫婦の深切と、嬉しいにつけて・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ いつもかかることのある際には、一刀浴びたるごとく、蒼くなりて縋り寄りし、お貞は身動だもなし得ざりき。 病者は自ら胸を抱きて、眼を瞑ること良久しかりし、一際声の嗄びつつ、「こう謂えばな、親を蹴殺した罪人でも、一応は言訳をすること・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
出典:青空文庫