・・・そして吉田が病院へ来て以来最もしみじみした印象をうけていたものはこの付添婦という寂しい女達の群れのことであって、それらの人達はみな単なる生活の必要というだけではなしに、夫に死に別れたとか年が寄って養い手がないとか、どこかにそうした人生の不幸・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・れありこれ必ず悲喜両方と存じ候、父上は何を申すも七十歳いかに強壮にましますとも百年のご寿命は望み難く、去年までは父上父上と申し上げ候を貞夫でき候て後われら夫妻がいつとなく祖父様とお呼び申すよう相成り候以来、父上ご自身も急に祖父様らしくなられ・・・ 国木田独歩 「初孫」
・・・ 初め植木屋夫婦が引越して来た時、井戸がないので何卒か水を汲ましてくれと大庭家に依頼みに来た。大庭の家ではそれは道理なことだと承諾してやった。それからかれこれ二月ばかり経つと、今度は生垣を三尺ばかり開放さしてくれろ、そうすれば一々御門へ・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・ 四 村長は高山の依頼を言い出す機会の無いのに引きかえて校長細川繁は殆ど毎夜の如く富岡先生を訪うて十時過ぎ頃まで談話ている、談話をすると言うよりか寧ろその愚痴やら悪口やら気焔やら自慢噺やらの的になっている。先生・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・ 二 倫理学の入門 倫理学の祖といわれるソクラテス以来最近のシェーラーやハルトマンらの現象学派の倫理学にいたるまで、人間の内面生活ならびに社会生活の一切の道徳的に重要な諸問題が、それを一貫する原理の探究を目ざしてとり・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・書物にあまりに依頼し、書物が何ものでも与えてくれ、書物からすべてを学び得ると考えるような没我主義があってはならない。実際研究することは読書することであると考えてるかのように見える思想家や、学者や学生は今日少なくないのである。明治以来今日にい・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・しかし結婚とともに職をやめて夫の収入に依頼し得る境遇はますます減じつつある。強いてやっていけるにしても、それよりも就職して収入を増し、家庭の窮迫を救いたくなるであろう。そしてそのことはまた家庭の団欒と母性愛を損じる。 職業か結婚かの問題・・・ 倉田百三 「婦人と職業」
・・・彼等は、あの老人を絶滅して以来、もう、偽せ札を造り出す者がなくなってしまったと思っていた。殊に、絶滅の仕方が惨酷であったゞけ、その効果が多いような感じがした。 彼等は、自分の姓名が書かれてある下へ印を捺して、五円と、いくらか半ぱの金を受・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ それは西暦千八百六十五年の七月の十三日の午前五時半にツェルマットという処から出発して、名高いアルプスのマッターホルンを世界始まって以来最初に征服致しましょうと心ざし、その翌十四日の夜明前から骨を折って、そうして午後一時四十分に頂上・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・ こう見てくれば、死刑は、もとより時の法度にてらして課されたものが多くをしめているのは、論のないところだが、なんびとかよく世界万国有史以来の厳密な統計をもとにして、死刑はつねに恥辱・罪悪にともなうものだと断言しうるであろうか。いな、死刑・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
出典:青空文庫