・・・情のために道を迂回し、あるいは疾走し、緩歩し、立停するは、職務に尽くすべき責任に対して、渠が屑しとせざりしところなり。 六 老人はなお女の耳を捉えて放たず、負われ懸くるがごとくにして歩行きながら、「お香、こう・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・、巻帯姿繕わで端居したる、胸のあたりの真白きに腰の紅照添いて、眩きばかり美わしきを、蝦蟇法師は左瞻右視、或は手を掉り、足を爪立て、操人形が動くが如き奇異なる身振をしたりとせよ、何思いけむ踵を返し、更に迂回して柴折戸のある方に行き、言葉より先・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・あんな身体になれば良いと佐伯は羨ましく眺め、心に灯をともしながらバスが迂回するのを待った。 帰りもバスだった。柔術指南所はもう寝しずまっていた。原っぱには誰もいなかった。一本道の前方にかすかにアパートの灯が見えた。遠い眺めだった。佐伯は・・・ 織田作之助 「道」
・・・されば路という路、右にめぐり左に転じ、林を貫き、野を横ぎり、真直なること鉄道線路のごときかと思えば、東よりすすみてまた東にかえるような迂回の路もあり、林にかくれ、谷にかくれ、野に現われ、また林にかくれ、野原の路のようによく遠くの別路ゆく人影・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・ぐるりと此の島を大迂回して、陰の港に到着するという仕組なのだろう。そう考えるより他は無いと、私は窮余の断案を下して落ち附こうとしたが、やはり、どうにも浮かぬ気持ちであった。ひょいと前方の薄暗い海面をすかし眺めて、私は愕然とした。実に、意外な・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・ 流は千葉街道からしきりと東南の方へ迂回して、両岸とも貧しげな人家の散在した陋巷を過ぎ、省線電車の線路をよこぎると、ここに再び田と畠との間を流れる美しい野川になる。しかしその眺望のひろびろしたことは、わたくしが朝夕その仮寓から見る諏訪田・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ 華表の前の小道を迂回して大川の岸に沿い、乗合汽船発着処のあるあたりから、また道の行くがままに歩いて行くと、六間堀にかかった猿子橋という木造の汚い橋に出る。この橋の上に杖を停めて見ると、亜鉛葺の汚い二階建の人家が、両岸から濁水をさしばさ・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・それを信越線迂回に代えて貰うことは出来よう。私共は、翌三日にそれ等の準備をし、予定通り四日に東京に向うことに定めた。出発までは、出来るだけ落付いて、自分等の務めを続けると云う約束で。 三日の朝、早く起き、朝飯を終ると、私はわざわざ借りて・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
・・・椒江の支流で、始豊渓という川の左岸を迂回しつつ北へ進んで行く。初め陰っていた空がようよう晴れて、蒼白い日が岸の紅葉を照している。路で出合う老幼は、皆輿を避けてひざまずく。輿の中では閭がひどくいい心持ちになっている。牧民の職にいて賢者を礼する・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・他の文句など全く不必要なこんなときでも、まだ何とかかとか人は云い出す運動体だということ、停ったかと思うと直ちに動き出すこのルーレットが、どの人間の中にも一つずつあるという鵜飼い――およそ誰でも、自分が鵜であるか、鵜の首を握っている漁夫である・・・ 横光利一 「鵜飼」
出典:青空文庫