・・・岡田氏はもし事実とすれば、「多分馬の前脚をとってつけたものと思いますが、スペイン速歩とか言う妙技を演じ得る逸足ならば、前脚で物を蹴るくらいの変り芸もするか知れず、それとても湯浅少佐あたりが乗るのでなければ、果して馬自身でやり了せるかどうか、・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・それから一月とたたないうちに今度はせっかくの腕時計や背広までも売るようになって来ました。ではその金はどうしたかと言えば、前後の分別も何もなしにお松につぎこんでしまったのです。が、お松も半之丞に使わせていたばかりではありません。やはり「お」の・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・それでも馬は金輪際売る気がなかった。剰す所は燕麦があるだけだったが、これは播種時から事務所と契約して、事務所から一手に陸軍糧秣廠に納める事になっていた。その方が競争して商人に売るのよりも割がよかったのだ。商人どもはこのボイコットを如何して見・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・これからは一人の主に身も心も献げ得る嬉しい境涯が自分を待っているのだ。 クララの顔はほてって輝いた。聖像の前に最後の祈を捧げると、いそいそとして立上った。そして鏡を手に取って近々と自分の顔を写して見た。それが自分の肉との最後の別れだった・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・歌の調子はまだまだ複雑になり得る余地がある。昔は何日の間にか五七五、七七と二行に書くことになっていたのを、明治になってから一本に書くことになった。今度はあれを壊すんだね。歌には一首一首各異った調子がある筈だから、一首一首別なわけ方で何行かに・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・目を見交したばかりで、かねて算した通り、一先ず姿を隠したが、心の闇より暗かった押入の中が、こう物色の出来得るは、さては目が馴れたせいであろう。 立花は、座敷を番頭の立去ったまで、半時ばかりを五六時間、待飽倦んでいるのであった。(まず・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・松の枝の地紙形に翳蔽える葉の裏に、葦簀を掛けて、掘抜に繞らした中を、美しい清水は、松影に揺れ動いて、日盛にも白銀の月影をこぼして溢るるのを、広い水槽でうけて、その中に、真桑瓜、西瓜、桃、李の実を冷して売る。…… 名代である。 ・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・が生命の大部分といった言葉の意味だけはわかるであろうが、かくのごとき境遇から起こってくるときどきのできごととその事実は、君のような大船に安乗して、どこを風が吹くかというふうでいらるる人のけっして想像し得ることではないのだ。 こころ満ちた・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・家の省作だってこれから売る体じゃないか。戯言に事欠いて、人の体さ疵のつくような事いうもんじゃない。わしが頼むからこれからそんな事はいわないでくろ」「はア」 満蔵はもう恐れ入ってしまって、申しわけも出ない。正直な満蔵は真から飛んだ事を・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・が、師伝よりは覚猷、蕪村、大雅、巣兆等の豪放洒落な画風を学んで得る処が多かったのは一見直ちに認められる。 かつ何でも新らしもの好きで、維新後には洋画を学んで水彩は本より油画までも描いた。明治の初年に渡来した英国人の画家ワグマンとも深く交・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
出典:青空文庫