・・・シナリオ・ライターも同様で、日本の映画が見るに堪えぬ最大の原因は彼等の書く科白のまずさである。科白のまずいというのは、結局不勉強、仕事の投げやりに原因するのだろうが、一つには紋切型に頼っても平気だという彼等の鈍重な神経のせいであって、われわ・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・ 達者で、器用で、何をやらせても一通りこなせるので、例えば彼の書いた新聞小説が映画化されると、文壇の常識を破って、自分で脚色をし、それが玄人はだしのシナリオだと騒がれたのに気を良くして、次々とオリジナル・シナリオを書いたのをはじめ、芝居・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・純になり、簡素になり、お能はその極致だという結論に達していたが、しかし、純粋小説とは純粋になればなるほど形式が不純になり、複雑になり、構成は何重にも織り重って遠近法は無視され、登場人物と作者の距離は、映画のカメラアングルのように動いて、眼と・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ 焼けた大阪劇場も内部を修理して、もう元通りの映画とレヴュが掛っていた。常盤座ももう焼けた小屋とは見えず、元の姿にかえって吉本の興行が掛っていた。 その常盤座の前まで、正月の千日前らしい雑閙に押されて来ると、またもや呼び停められた。・・・ 織田作之助 「神経」
・・・ アメリカの映画俳優たちのように、夫婦の離合の常ないのはなるほど自由ではあろうが、夫婦生活の真味が味わえない以上は人生において、得をしているか、失っているかわからない。色情めいた恋愛の陶酔は数経験するであろうが、深みと質とにおいて、より・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・また文芸や、映画でその種々相に触れずにもいないわけである。だが結局は自分の胸にわいてくるイメージと要請とをもって、自分たちの恋の世界を要求し、つくり出すべきだ。 今日の文芸や、映画に出てくる恋愛が不満ならば恐れずその不満を持て。それはむ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ 映画にとりたいという申込みはそのころよくあったが私はことわってきた。そのころの映画はまだ幼稚だったし、トーキーもなかった。 トーキーでやれば、『出家とその弟子』は、きっと成功すると私は思っている。それはこの作が芝居で困難なのは動き・・・ 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
・・・無線電信も、鉄道も、汽船も、映画や、演劇までも、帝国主義ブルジョアジーは、それを××のために、或は好戦思想を鼓吹するために使っているのである。あらゆるものがすべて軍事上の力を増大するために集中されている。が、それは、ブルジョアジーにとって、・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・が改作されて映画となって、再び出現したのもまた理由のないことではない。「不如帰」については、立入る必要はあるまい。第四章 日露戦争に関連して ─花袋の「一兵卒」、忠温の「肉弾」、龍之介の「将軍」 ・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・をつづけて、「それともこう云っちゃあ少しウヌだが、貧すりゃ鈍になったように自分でせえおもうこのおれを捨ててくれねえけりゃア、真の事たあ、明日の富に当らねえが最期おらあ強盗になろうとももうこれからア栄華をさせらあ。チイッと覚悟をし直してこ・・・ 幸田露伴 「貧乏」
出典:青空文庫