・・・しかし彼は衣食する上にはある英字新聞の記者を勤めているのだった。僕はどう云う芸術家も脱却出来ない「店」を考え、努めて話を明るくしようとした。「上海は東京よりも面白いだろう。」「僕もそう思っているがね。しかしその前にもう一度ロンドンへ・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・裸になった彼女は花束の代りに英字新聞のしごいたのを持ち、ちょっと両足を組み合せたまま、頸を傾けているポオズをしていた。しかしわたしは画架に向うと、今更のように疲れていることを感じた。北に向いたわたしの部屋には火鉢の一つあるだけだった。わたし・・・ 芥川竜之介 「夢」
・・・産婆の膝許には血の気のない嬰児が仰向けに横たえられていた。産婆は毬でもつくようにその胸をはげしく敲きながら、葡萄酒葡萄酒といっていた。看護婦がそれを持って来た。産婆は顔と言葉とでその酒を盥の中にあけろと命じた。激しい芳芬と同時に盥の湯は血の・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・「誰が、そんなことをいうもんですか。」「お浜ッ児にも内証だよ。」 と密と伸上ってまた縁側から納戸の母衣蚊帳を差覗く。「嬰児が、何を知ってさ。」「それでも夢に見て魘されら。」「ちょいと、そんなに恐怖い事なのかい。」と女・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ お妻は石炭屑で黒くなり、枝炭のごとく、煤けた姑獲鳥のありさまで、おはぐろ溝の暗夜に立ち、刎橋をしょんぼりと、嬰児を抱いて小浜屋へ立帰る。……と、場所がよくない、そこらの口の悪いのが、日光がえりを、美術の淵源地、荘厳の廚子から影向した、・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・苫家、伏家に灯の影も漏れない夜はさこそ、朝々の煙も細くかの柳を手向けられた墓のごとき屋根の下には、子なき親、夫なき妻、乳のない嬰児、盲目の媼、継母、寄合身上で女ばかりで暮すなど、哀に果敢ない老若男女が、見る夢も覚めた思いも、大方この日が照る・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 室内は動揺む。嬰児は泣く。汽車は轟く。街樹は流るる。「誰の麁そそうじゃい。」 と赤ら顔はいよいよ赤くなって、例の白目で、じろり、と一ツずつ、女と、男とを見た。 彼は仰向けに目を瞑った。瞼を掛けて、朱を灌ぐ、――二合壜は、帽・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ 途方もない、乱暴な小僧ッ児の癖に、失礼な、末恐しい、見下げ果てた、何の生意気なことをいったって私が家に今でもある、アノ籐で編んだ茶台はどうだい、嬰児が這ってあるいて玩弄にして、チュッチュッ噛んで吸った歯形がついて残ッてら。叱り倒してと・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・この二種の物語のごときは、川ありて、門小さく、山ありて、軒の寂しき辺には、到る処として聞かざるなき事、あたかも幽霊が飴を買いて墓の中に嬰児を哺みたる物語の、音羽にも四ツ谷にも芝にも深川にもあるがごとし。かく言うは、あえて氏が取材を難ずるにあ・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・笊の中には、乳離れをせぬ嬰児だ。火のつくように泣立てるのは道理である。ところで笊の目を潜らして、口から口へ哺めるのは――人間の方でもその計略だったのだから――いとも容易い。 だのに、餌を見せながら鳴き叫ばせつつ身を退いて飛廻るのは、あま・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
出典:青空文庫