・・・しかし幽霊が出るって言ったのは磯っ臭い山のかげの卵塔場でしたし、おまけにそのまたながらみ取りの死骸は蝦だらけになって上ったもんですから、誰でも始めのうちは真に受けなかったにしろ、気味悪がっていたことだけは確かなんです。そのうちに海軍の兵曹上・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・降誕を告げる星を便りに乳香や没薬を捧げに来た、賢い東方の博士たちのことを、メシアの出現を惧れるために、ヘロデ王の殺した童子たちのことを、ヨハネの洗礼を受けられたことを、山上の教えを説かれたことを、水を葡萄酒に化せられたことを、盲人の眼を開か・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・は僕等の隣に両手に赤葡萄酒の杯を暖め、バンドの調子に合せては絶えず頭を動かしていた。それは満足そのものと云っても、少しも差支えない姿だった。僕は熱帯植物の中からしっきりなしに吹きつけて来るジャッズにはかなり興味を感じた。しかし勿論幸福らしい・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・ 譚は老酒に赤らんだ顔に人懐こい微笑を浮かべたまま、蝦を盛り上げた皿越しに突然僕へ声をかけた。「それは含芳と言う人だよ」 僕は譚の顔を見ると、なぜか彼にはおとといのことを打ち明ける心もちを失ってしまった。「この人の言葉は綺麗・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・その一つ向うのテエブルには、さっき二人と入れちがいにはいって来た、着流しの肥った男と、芸者らしい女とが、これは海老のフライか何かを突ついてでもいるらしい。滑かな上方弁の会話が、纏綿として進行する間に、かちゃかちゃ云うフォオクの音が、しきりな・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・そうして「海老上り」の両足を遠く空ざまに伸しながら、「二――」と再び喚いた時には、もう冬の青空を鮮に切りぬいて、楽々とその上に上っていた。この丹波先生の滑稽なてれ隠しが、自分たち一同を失笑させたのは無理もない。一瞬間声を呑んだ機械体操場の生・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・華美を極めた晴着の上に定紋をうった蝦茶のマントを着て、飲み仲間の主権者たる事を現わす笏を右手に握った様子は、ほかの青年たちにまさった無頼の風俗だったが、その顔は痩せ衰えて物凄いほど青く、眼は足もとから二、三間さきの石畳を孔のあくほど見入った・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・産婆は毬でもつくようにその胸をはげしく敲きながら、葡萄酒葡萄酒といっていた。看護婦がそれを持って来た。産婆は顔と言葉とでその酒を盥の中にあけろと命じた。激しい芳芬と同時に盥の湯は血のような色に変った。嬰児はその中に浸された。暫くしてかすかな・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・この川はたいそうきれいな川で西岸には古いお城があったり葡萄の畑があったりして、川ぞいにはおりしも夏ですから葦が青々とすずしくしげっていました。 燕はおもしろくってたまりません。まるでみなで鬼ごっこをするようにかけちがったりすりぬけたり葦・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・「もう、二階ばかり上の高い処に、海老屋の屋根の天水桶の雪の遠見ってのがありました。」「聞いても飛上りたいが、お妻さん、動悸が激しくって、動くと嘔きそうだ。下へもおりられないんだよ。恩に被るから、何とか一杯。」「おっしゃるな。すぐ・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
出典:青空文庫