・・・関東煮屋をやると聴いて種吉は、「海老でも烏賊でも天婦羅ならわいに任しとくなはれ」と手伝いの意を申し出でたが、柳吉は、「小鉢物はやりまっけど、天婦羅は出しまへん」と体裁よく断った。種吉は残念だった。お辰は、それみたことかと種吉を嘲った。「私ら・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・あの鉄枠の中の青年の生活と、こうした華かな、クリスマスの仮面をつけて犢や七面鳥の料理で葡萄酒の杯を挙げている青年男女の生活――そしてまた明るさにも暗さにも徹しえない自分のような人間――自分は酔いが廻ってくるにしたがって、涙ぐましいような気持・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・継母は自分の手しおにかけた耕吉の従妹の十四になるのなど相手に、鬼のように真黒くなって、林檎や葡萄の畠を世話していた。彼女はちょっと非凡なところのある精力家で、また皮肉屋であった。「自家の兄さんはいつ見ても若い。ちっとも老けないところを見・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・酢っぱくって渋くって泡の立つ葡萄酒のような、コクの強い、野蕃な海なんだ。波のしぶきが降って来る。腹を刔るような海藻の匂いがする。そのプツプツした空気、野獣のような匂い、大気へというよりも海へ射し込んで来るような明らかな光線――ああ今僕はとう・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・そして街から街へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立ち留まったり、乾物屋の乾蝦や棒鱈や湯葉を眺めたり、とうとう私は二条の方へ寺町を下り、そこの果物屋で足を留めた。ここでちょっとその果物屋を紹介したいのだが、その果物屋は私の知・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・「寧ろこの使用い古るした葡萄のような眼球をり出したいのが僕の願です!」と岡本は思わず卓を打った。「愉快々々!」と近藤は思わず声を揚げた。「オルムスの大会で王侯の威武に屈しなかったルーテルの胆は喰いたく思わない、彼が十九歳の時学友・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・同十四日――「今朝大雪、葡萄棚堕ちぬ。 夜更けぬ。梢をわたる風の音遠く聞こゆ、ああこれ武蔵野の林より林をわたる冬の夜寒の凩なるかな。雪どけの滴声軒をめぐる」同二十日――「美しき朝。空は片雲なく、地は霜柱白銀のごとくきらめく。小鳥・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・湯場は新開の畠に続いて、硝子窓の外に葡萄棚の釣ったのが見えた。青黒く透明な鉱泉からは薄い湯気が立っていた。先生は自然と出て来る楽しい溜息を制えきれないという風に、心地の好い沸かし湯の中へ身を浸しながら、久し振で一緒に成った高瀬を眺めたり、田・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ 食事の済む頃に、婆さんは香ばしく入れた茶と、干葡萄を小皿に盛って持って来て、食卓の上に置いた。それを主人に勧めながら、お針に来ている婦の置いて行ったという話をした。「あの人がそう申しますんですよ。是方の旦那様も奥様を探して被入・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・それですぐにそのドモクレスを呼んで、さまざまの珍らしいきれいな花や、香料や、音楽をそなえた、それはそれは、立派なお部屋にとおし、出来るかぎりのおいしいお料理や、価のたかい葡萄酒を出して、力いっぱい御馳走をしました。 ドモクレスは大喜びを・・・ 鈴木三重吉 「デイモンとピシアス」
出典:青空文庫