・・・ こうして、追っ払われた支店長は二三に止まらず、しかも、悪辣なる丹造は、その跡釜へ新たに保証金を入れた応募者を据えるという巧妙な手段で、いよいよ私腹を肥やしたから、路頭に迷う支店長らの怨嗟の声は、当然高まった。 ある支店長のごときは・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ と、呟きながら読んで行って、「応募資格ハ男女ヲ問ハズ、専門学校卒業又ハ同程度以上ノ学力ヲ有スル者」という個所まで来ると、道子の眼は急に輝いた。道子はまるで活字をなめんばかりにして、その個所をくりかえしくりかえし読んだ。「応募資格ハ・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・い叢書は著作者の顔触れも広く取り入れてあるもので、その中には私の先輩の名も見え、私の友だちの名も見えるが、菊版三段組み、六号活字、総振り仮名付きで、一冊三四百ぺージもあるものを思い切った安い定価で予約応募者にわかとうというのであった。私たち・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・そのような夜半には、私もまた、菊池寛のところへ手紙を出そうか、サンデー毎日の三千円大衆文芸へ応募しようか、何とぞして芥川賞をもらいたいものだ、などと思いを千々にくだいてみるのであるが、夜のしらじらと明け放れると共に、そのような努力が、何故と・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 美しい腕をもった子は存外少ないようである。応募者の試験委員たちの採点表中に容貌の条項はあっても腕の条項がないかもしれないが、少なくも食堂の場合には、これも一つのかなりの程度まで考慮さるべきアイテムとなるべきものかもしれない。 器量・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・というのであった。応募答案の中には実に深遠を極めた学説のさまざまが展開されていた。しかし当選した正解者の答案は極めて簡単明瞭で「水はこぼれますよ」というのであった。 颱風のような複雑な現象の研究にはなおさら事実の観測が基礎にならなければ・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・自分も時に応募していたが、自分の書いた文章が活字になったのは多分それが最初であったと思う。理科大学の二年生で西片町に家を持っていたその頃の日記の一節を「牛頓日記」と名づけて出したことがある。牛頓はニュートンと読むのであるが実に妙な名前をつけ・・・ 寺田寅彦 「明治三十二年頃」
十篇の応募作品をよんだ。出来・不出来はあるにしろ、そのどれもを貫いて流れているのは、日本の結核療養に必要な社会施設のとぼしさと、そこからおこる闘病の苦しく複雑な現実の思いである。ベティー・マクドナルドというアメリカの婦人作・・・ 宮本百合子 「『健康会議』創作選評」
・・・いずれの場合でも、ただ応募した作家たちが一まとめに派遣されただけで、各々の作家が、これまでどの産業に一番接近していたか、どんな社会的労働があるのか? それらの経験と行くさきの新興産業とはどんな関係にあるかというような詳細に亙って、作家と目的・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・けれども、このたび応募されている手記のように、戦争によって夫や父を殺された妻、母の苦しみは、人間生活におこる一般的な生別、死別の問題とは、本質からちがっている。戦争によって人生の道づれを殺された人々は、ほんとは戦争にその人たちを狩りたてた自・・・ 宮本百合子 「『この果てに君ある如く』の選後に」
出典:青空文庫