・・・お町の後から、外套氏は苦笑いをしながら、その蓮根問屋の土間へ追い続いて、「決して威す気で言ったんじゃあない。――はじめは蛇かと思って、ぞっとしたっけ。」 椎の樹婆叉の話を聞くうちに、ふと見ると、天井の車麩に搦んで、ちょろちょろと首と・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・豪雨だ……そのすさまじき豪雨の音、そうしてあらゆる方面に落ち激つ水の音、ひたすら事なかれと祈る人の心を、有る限りの音声をもって脅すかのごとく、豪雨は夜を徹して鳴り通した。 少しも眠れなかったごとく思われたけれど、一睡の夢の間にも、豪雨の・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・ ある日寺田屋へ、結いたての細銀杏から伽羅油の匂いをプンプンさせた色白の男がやってきて、登勢に風呂敷包みを預けると、大事なものがはいっているゆえ、開けてみてはならんぞ。脅すような口を利いて帰って行った。五十吉といい今は西洞院の紙問屋の番・・・ 織田作之助 「螢」
・・・それから船頭が、板刀麺が喰いたいか、飩が喰いたいか、などと分らぬことをいうて宋江を嚇す処へ行きかけたが、それはいよいよ写実に遠ざかるから全く考を転じて、使の役目でここを渡ることにしようかと思うた。「急ぎの使ひで月夜に江を渡りけり」という事を・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・自分が失われるだろうと云う予感が先ず影で脅す、脅かされる丈の内容の力弱さが反射するのでもある。そこで、解らなく成りそうに成る人生に、何か統一を見出さずにはいられない慾求から、誰それはこう云ったと云う、哲学が呼び出されて来るのではないだろうか・・・ 宮本百合子 「概念と心其もの」
・・・ 章子は、獅々舞いが子供を嚇すように胸を拳でたたきたたき笑いこけている小婢の方へじりじりよって行った。「怖わァ」「阿呆かいな」 階段の中程へ腰をおろし、下の板敷の騒動をひろ子も始めは興にのり、笑い笑い瞰下していた。が、暫くそ・・・ 宮本百合子 「高台寺」
・・・ ここには、野沢富美子が、急に自分をとりかこんで天才だの作家だの人気商売だからと半ば嚇すように云ったりする人間だの、急におとなしくなった家のものだのに向って感じる信頼の出来ないいやな心持が、極めて率直に語られている。富美子の生麦弁を「言・・・ 宮本百合子 「『長女』について」
出典:青空文庫