・・・ 勿論以上を以て尽きない、全福音書を通じて直接間接に来世を語る言葉は到る所に看出さる、而して是は単に非猶太的なる路加伝に就て言うたに過ぎない、新約聖書全体が同じ思想を以て充溢れて居る、即ち知る聖書は来世の実現を背景として読むべき書な・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・何時も母の涙の光った眼が自分の上に注がれて居るからである。これは架空的の宗教よりも強く、また何等根拠のない道徳よりももっと強くその子供の上に感化を与えている。神を信ずるよりも母を信ずる方が子供に取っては深く、且つ強いのである。実に母と子の関・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・ 雨の降る日も、この黒塗りの馬車は駆けていきました。風の吹く日も、黒のシルクハットをかぶって燕尾服を着た皇子を乗せた、この馬車の幻は走っていきました。 お姫さまは、もう、どうしたら、いちばんいいであろうかと迷っていられました。「・・・ 小川未明 「赤い姫と黒い皇子」
・・・するとじきまた、白いのがチラチラ降るようになるんだ。旅を渡る者にゃ雪は一番御難だ。ねえ君、こうして私のように、旅から旅と果しなしに流れ渡ってて、これでどこまで行着きゃ落着くんだろう。何とやらして空飛ぶ鳥は、どこのいずこで果てるやらって唄があ・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・筈の洋燈の灯が、ジュウジュウと音を立てて暗くなって来た、私はその音に不図何心なく眼が覚めて、一寸寝返りをして横を見ると、呀と吃驚した、自分の直ぐ枕許に、痩躯な膝を台洋燈の傍に出して、黙って座ってる女が居る、鼠地の縞物のお召縮緬の着物の色合摸・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・私は空を想った。降るような星空を想った。清浄な空気に渇えた。部屋のどこからも空気の洩れるところがないということが、ますます息苦しく胸をしめつけた。明けはなたれた窓にあこがれた。いきなりシリウス星がきらめいた。私ははっと眼をあけた。蜘蛛の眼が・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・石づくりの狐が一匹居る。口に隙間がある。凶のおみくじをひいたときは、その隙間へおみくじを縛りつけて置く。すると、まんまと凶を転じて吉とすることが出来る。「どうか吉にしたっとくなはれ」 祈る女の前に賽銭箱、頭の上に奉納提灯、そして線香・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・眼に見えるようなは其而已でなく、其時ふッと気が付くと、森の殆ど出端の蓊鬱と生茂った山査子の中に、居るわい、敵が。大きな食肥た奴であった。俺は痩の虚弱ではあるけれど、やッと云って躍蒐る、バチッという音がして、何か斯う大きなもの、トサ其時は思わ・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・それには丁度先刻しがた眼を覚して例の小草を倒に這降る蟻を視た時、起揚ろうとして仰向に倒けて、伏臥にはならなかったから、勝手が好い。それで此星も、成程な。 やっとこなと起かけてみたが、何分両脚の痛手だから、なかなか起られぬ。到底も無益だと・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・「……で甚だ恐縮な訳ですが、妻も留守のことで、それも三四日中には屹度帰ることになって居るのですから、どうかこの十五日まで御猶予願いたいものですが、……」「出来ませんな、断じて出来るこっちゃありません!」 斯う呶鳴るように云った三・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫