・・・ わたしはそれほど恩義を知らぬ、人非人のように見えるでしょうか? わたしはそれほど、――」「それほど愚かとは思わなかった。」 御主人はまた前のように、にこにこ御笑いになりました。「お前がこの島に止まっていれば、姫の安否を知らせる・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・まだお貞の亭主の思いやりで、台どころ道具などを初め、所帯を持つに必要な物はほとんどすべて揃えてもらい、飯の炊き方まで手を取らないまでにして世話してもらったのであるが、月日の経つに従い、この新夫婦はその恩義を忘れたかのように疎くなった。お貞は・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・いかに数多くの愛し合った男女、誓い合った朋友、恩義ある師弟がそれぞれの事情から別れねばならなかったであろう。その中には生木を割くような生別もあるのである。 いったん愛し合い結び合った者は一生離れず終わりを全うするのが美しく望ましいのはい・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・一宿一飯の恩義などという固苦しい道徳に悪くこだわって、やり切れなくなり、逆にやけくそに破廉恥ばかり働く類である。私は厳しい保守的な家に育った。借銭は、最悪の罪であった。借銭から、のがれようとして、更に大きい借銭を作った。あの薬品の中毒をも、・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・漂母が一飯の恵と雖一たび之を受ければ恩義を担うことになるからである。 僕は忍ばねばならぬことは之を忍び、避けねばならぬことは之を避けた。僕としては聊考慮を費したつもりである。拙著の版権問題について賠償金の事を山本さんに一任したのは、累禍・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・人にすくなくとも迷惑をかけないし、また人にいささかの恩義も受けないで済むのだから、これほど都合の好いことはない。そういう人が本当の意味で独立した人間といわなければならないでしょう。実際我々は時勢の必要上そうは行かないようなものの腹の中では人・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・と銘を改め細川家にとって数々の名誉を与えるものとなったのであるが、彌五右衛門は、三斎公に助命された恩義を思って、江戸詰御留守居という義務からやっと自由になった十三年目に、欣然として殉死した。三斎公の言葉として、作者鴎外は、「総て功利の念を以・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・伝兵衛はこの恩義を思候て、切腹いたし候。介錯は磯田十郎に候。久野は丹後の国において幽斎公に召し出され、田辺御籠城の時功ありて、新知百五十石賜わり候者に候。矢野又三郎介錯いたし候。宝泉院は陣貝吹の山伏にて、筒井順慶の弟石井備後守吉村が子に候。・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・それは指摘してくれられた人には、没すべからざる恩誼があるから、それに対して公に謝したいためである。七 しかし体に疵のある人は、衣服でそれを掩っていられる限は掩っている。人に衣服を剥がれるまでは露呈しない。精神上にも自家の醜は・・・ 森鴎外 「不苦心談」
出典:青空文庫