・・・その時の会場は何となく緊張していたが当人のアインシュタインは極めて呑気な顔をしていた。レナードが原理の非難を述べている間に、かつてフィルハルモニーで彼の人身攻撃をやった男が後ろの方の席から拍手をしたりした。しかしレナードの急き込んだ質問は、・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
上野の近くに人を尋ねたついでに、帝国美術院の展覧会を見に行った。久し振りの好い秋日和で、澄み切った日光の中に桜の葉が散っていた。 会場の前の道路の真中に大きな天幕張りが出来かかっている。何かの式場になるらしい。柱などを・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・しかし映画では第一その舞台が室内にでも戸外にでも海上にでも砂漠にでも自由に選ばれる。そうしてカメラの対物鏡は観客の目の代理者となって自由自在に空間中を移動し、任意な距離から任意な視角で、なおその上に任意な視野の広さの制限を加えて対象を観察し・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・円形運動ではレコードや、ダイアルの回転があるほかに、新工場開場式のクライマックスに吹き起こる狂風の複雑な旋転的乱舞がやはり全編の運動のクライマックスを成しているのである。そのあとで、解放された男女職工が野外のメイポールの下で踊るのがやはり円・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・たとえば場面が一転して、海上から見た島山の美しい景色が映写された瞬間にわれわれの頭には「どこだろう」という疑問が浮かぶ。ところがこれに対する説明の録音は気取った調子で「千島にも春は来ました」とそれっきりである。千島の何島のどの部分の海岸をど・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・このような神経の異常を治療するのにいちばん手軽な方法は、講演会場から車を飛ばしてどこかの常設映画館に入場することである。上映中の映画がどんな愚作であってもそれは問題でない、のみならずあるいはむしろ愚作であればあるほどその治療的効果が大きいよ・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・孕の海にジャンと唱うる稀有のものありけり、たれしの人もいまだその形を見たるものなく、その物は夜半にジャーンと鳴り響きて海上を過ぎ行くなりけり、漁業をして世を渡るどちに、夜半に小舟浮かべて、あるは釣りをたれ、あるいは網を打ちて幸多かる・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・すなわち同じ高さの海上の気層に比べて圧が高くなるから、この層の空気は海に向かって流れる。この流れが始まると、陸地の表面では上層の空気が他処へ流出するために圧が海上の同じ高さの点より低くなる。従って地面近くでは海のほうから陸へ向けて風が吹く、・・・ 寺田寅彦 「海陸風と夕なぎ」
・・・ それはとにかく、実に幸いなことには事件の発生時刻が朝の開場間ぎわであったために、入場顧客が少なかったからこそ、まだあれだけの災害ですんだのであるが、あれがもしや昼食時前後の混雑の場合でもあったとしたら、おそらく死傷の数は十数倍では足り・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
・・・関東地震の起った瞬間に私は上野の二科会展覧会場の喫茶店で某画伯と話をしていた。初期微動があまり激しかったのでそれが主要動であると思っているうちに本当の主要動がやって来たときは少しはびっくりしない訳に行かなかった。しかしその最初の数秒の経過と・・・ 寺田寅彦 「家庭の人へ」
出典:青空文庫