・・・そこの海中の岩かげに、ふわふわと浮かんでいる海草に、おじいさんをしてしまったのです。一日ふわふわと海の上に浮かんでいます。日の光が暖かに照らしています。波影が、きらきらと光っています。鳥もめったに飛んでこなければ、その小さな島には、人も、獣・・・ 小川未明 「ものぐさじじいの来世」
・・・ * * * 越えて二日目、葬式は盛んに営まれて、喪主に立った若後家のお光の姿はいかに人々の哀れを引いたろう。会葬者の中には無論金之助もいたし、お仙親子も手伝いに来ていたのである。 で、葬式の済むまで・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 夜更けの書斎で一人こんな回想に耽っていると、コトンコトンと床の間の掛軸が鳴った。雨戸の隙間からはいる風が強くなって来たらしい。千日前の話は書けそうにもない。私は首を縮めて寝床にはいった。そして大きな嚔を続けざまにしたあと、蒲団の中で足・・・ 織田作之助 「世相」
・・・そして、代替りゆえ、思い切って店の内外を改装し、ネオンもつけて、派手に開店しなはれ、金はいくらでも出すと、随分乗気になってくれた。 名前は相変らずの「蝶柳」の上にサロンをつけて「サロン蝶柳」とし、蓄音器は新内、端唄など粋向きなのを掛け、・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・上塩町に三十年住んで顔が広かったからかなり多かった会葬者に市電のパスを山菓子に出し、香奠返しの義理も済ませて、なお二百円ばかり残った。それで種吉は病院を訪ねて、見舞金だと百円だけ蝶子に渡した。親のありがたさが身に沁みた。柳吉の父が蝶子の苦労・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・腹を刔るような海藻の匂いがする。そのプツプツした空気、野獣のような匂い、大気へというよりも海へ射し込んで来るような明らかな光線――ああ今僕はとうてい落ちついてそれらのことを語ることができない。何故といって、そのヴィジョンはいつも僕を悩ましな・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・ 私は静かな眠った港を前にしながら転変に富んだその夜を回想していた。三里はとっくに歩いたと思っているのにいくらしてもおしまいにならなかった山道や、谿のなかに発電所が見えはじめ、しばらくすると谿の底を提灯が二つ三つ閑かな夜の挨拶を交しなが・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・けれどもが、さし向かえば、些の尊敬をするわけでもない、自他平等、海藻のつくだ煮の品評に余念もありません。「戦争がないと生きている張り合いがない、ああツマラない、困った事だ、なんとか戦争を始めるくふうはないものかしら。」 加藤君が例の・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・そしてこれを聴く小山よりもこれを読む自分の方が当時を回想する情に堪えなかった。 時は忽然として過ぎた、七年は夢のごとくに経過した。そして半熟先生ここに茫然として半ば夢からさめたような寝ぼけ眼をまたたいている。五 午後二人・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・自分は母を見ても妹を見ても、普通の会葬者を見るのと何の変もなかった。 三百円を受けた時は嬉しくもなく難有くもなく又厭とも思わず。その中百円を葬儀の経費に百円を革包に返し、残の百円及び家財家具を売り払った金を旅費として飄然と東京を離れて了・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
出典:青空文庫