・・・阿郎の恩を 宝刀を掣将つて非命を嗟す 霊珠を弾了して宿冤を報ず 幾幅の羅裙都て蝶に化す 一牀繍被籠鴛を尚ふ 庚申山下無情の土 佳人未死の魂を埋却す 犬江親兵衛多年剣を学んで霊場に在り 怪力真に成る鼎扛ぐべし 鳴鏑雲を穿つて咆・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・彼はこの女と、ほんの二、三度、闇の物資の取引きをした事があるだけだが、しかし、この女の鴉声と、それから、おどろくべき怪力に依って、この女を記憶している。やせた女ではあるが、十貫は楽に背負う。さかなくさくて、ドロドロのものを着て、モンペにゴム・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・電話で、戸山が原のことを聞き、男は、いやだねえ、とその踊子の友だちと話合い、とにかく正午に、雪解けのぬかるみを難儀しながら戸山が原にたどりついて、見ると、いましも、シャツ一枚の姿の三木朝太郎は、助七の怪力に遭って、宙に一廻転しているところで・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・それで、もしも映画のトリックによって一人の男が三井寺の鐘を引きちぎって軽々と片手でさし上げれば、その男は異常な怪力をもっているように見えるのである。また、大きな岩と見えるものが墜落して来て、その下敷きになって一人の人間が隠れればその人はほん・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・これに応じてうっかり相手になると、それが子供に似合わず非常な怪力があって結局ひどい目にのされてしまう、というのである。これと並行してまたエンコウ(河童と相撲を取ってのされたという話もある。上記のシバテンはまた夜釣りの人の魚籠の中味を盗むこと・・・ 寺田寅彦 「相撲」
・・・の現象であって、別に必ずしも怪力乱神を語るには当たらないであろうと思われる。悪い年回りはむしろいつかは回って来るのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年回りの間に充分の用意をしておかなければならないということは、実に明白すぎるほど明白なこ・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
一心不乱と云う事を、目に見えぬ怪力をかり、縹緲たる背景の前に写し出そうと考えて、この趣向を得た。これを日本の物語に書き下さなかったのはこの趣向とわが国の風俗が調和すまいと思うたからである。浅学にて古代騎士の状況に通ぜず、従・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・水夫長も料理人も、船じゅうのものがこの男の怪力と一種変った気風に一目置いていた。夕方、スムールイが巨大な体をハッチに据えて、ゆるやかに流れ去って行くヴォルガの遠景を憂わしげに眺めながら、何時間も何時間も黙って坐っているような時があった。こう・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫