・・・そして手の震えるのをお互に隠し合うようにしていましたっけね。 そのうちお互に何も口に出さずにいて、とうとうあなたは土地を離れておしまいなさいました。それはあなたははにかんでいらっしゃる、わたくしはあなたを預託品のように思っていましたから・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ 婦人欄の扱いかたなどは、近頃各紙とも相当苦心の跡が見える。写真の使い方、見出しのつけ方等、時に溌剌とした印象を与えるが、概して記事の範囲、深さは婦人雑誌から遠くも広くもなり難いらしい。昔、婦人欄は主として婦人記者であったけれども、この・・・ 宮本百合子 「女性の教養と新聞」
・・・若い自分が従妹と、そこに祖母が隠して置いた氷砂糖を皆食べて叱られた。その洋画や飾棚が、向島へ引移る時、永井と云う悪執事にちょろまかされたが、その永井も数年後、何者かに浅草で殺された事など、まさ子は悠り、楽しそうに語った。向島時代は、なほ子も・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・『知識』が、各誌共通のトピックのほかに内容の多様性を求めて一頁論壇、谷崎潤一郎の文章読本の短い批評、宗教についての記事などを広汎にのせていることはプラスであり、続行されたい点である。けれども、たとえば「音楽雑談」や一頁人物評、吉川英治につい・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
・・・ 第一日の十一月四日、法廷にはニュース映画のカメラ、ラジオの録音の機具まで運びこまれ、まぶしいフラッシュの閃きの間に赤坊の泣声がまじり、十二名の被告が入廷するという光景であったことが、各紙に報ぜられた。その前日ごろわたしたちは、裁判所の・・・ 宮本百合子 「それに偽りがないならば」
・・・七月十八日の各紙に出ている逮捕理由はおおざっぱで独断的ですべての常識ある人には奇妙に思われるものだった。吉村隊長でさえ、検事局はあれだけ全国的に事実をかためてから逮捕した。飯田、山本両氏について、検事局は「往来危険罪で処断」と最悪の場合は死・・・ 宮本百合子 「犯人」
・・・を著し、獄中生活の後、渡米してフィラデルフィアで客死した。 自由党が禁圧せられ、国会開設が決定され、今日殆ど総ての作家によって理解されている日本の資本主義の特徴ある性質が組織化されてはっきり正面に押し出されて来ると同時に、文筆、言論の文・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
・・・ 木村は洋服に着換えて、封を切らない朝日を一つ隠しに入れて玄関に出た。そこには弁当と蝙蝠傘とが置いてある。沓も磨いてある。 木村は傘をさして、てくてく出掛けた。停留場までの道は狭い町家続きで、通る時に主人の挨拶をする店は大抵極まって・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・ 馬は槽の手蔓に口をひっ掛けながら、またその中へ顔を隠して馬草を食った。「お母ア、馬々。」「ああ、馬々。」 六「おっと、待てよ。これは悴の下駄を買うのを忘れたぞ。あ奴は西瓜が好きじゃ。西瓜を買うと、俺・・・ 横光利一 「蠅」
・・・この苦痛は主我の思想によって転機に逢会するまで常に心を刺していたのであるが、転機とともに一時姿を隠した。自分はそれによって大いなる統一を得たつもりであった。しかしやがてまた苦痛は始まった。そうしてそれが追々強まって行くとともに、ちょうど夜明・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
出典:青空文庫