・・・の隣に寄席の「花月」がある。僕らが子供の頃、黒い顔の初代春団治が盛んにややこしい話をして船場のいとはんたちを笑わせ困らせていた「花月」は、今は同じ黒い顔のエンタツで年中客止めだ。さて、花月もハネて、帰りにどこぞでと考えると、「正弁丹吾亭」が・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・そんな私の気持があの人に通じたかどうか、文楽のかわりにと連れて行って下すったのが、ほかに行くところもあろうに法善寺の寄席の花月だった。何も寄席だからわるいというわけではないが、矢張り婚約の若い男女が二人ではじめて行くとすれば、音楽会だとかお・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・のをフーフー口とがらせて食べ、仲良く腹がふくれてから、法善寺の「花月」へ春団治の落語を聴きに行くと、ゲラゲラ笑い合って、握り合ってる手が汗をかいたりした。 深くなり、柳吉の通い方は散々頻繁になった。遠出もあったりして、やがて柳吉は金に困・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ けれども、私たちが青森市に疎開して、四箇月も経たぬうちに、かえって青森市が空襲を受けて全焼し、私たちがたいへんな苦労をして青森市へ持ち運んだ荷物全部を焼失してしまい、それこそ着のみ着のままのみじめな姿で、青森市の焼け残った知合いの家へ・・・ 太宰治 「おさん」
織田君は死ぬ気でいたのである。私は織田君の短篇小説を二つ通読した事があるきりで、また、逢ったのも、二度、それもつい一箇月ほど前に、はじめて逢ったばかりで、かくべつ深い附合いがあったわけではない。 しかし、織田君の哀しさ・・・ 太宰治 「織田君の死」
・・・それから一箇月近く私はその旅館の、帳場の小箪笥の引出しにいれられていましたが、何だかその医学生は、私を捨てて旅館を出てから間もなく瀬戸内海に身を投じて死んだという、女中たちの取沙汰をちらと小耳にはさみました。『ひとりで死ぬなんて阿呆らしい。・・・ 太宰治 「貨幣」
・・・ その旅行の二箇月ほど後に、私は偶然、北さんと街で逢った。北さんは、蒼い顔をして居られた。元気が無かった。「どうしたのです。痩せましたね。」「ええ、盲腸炎をやりましてね。」 あの夜、青森発の急行で帰京したが、帰京の直後に腹痛・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・フロオベエルは、この言葉一つに、三箇月も苦心したんだぞ。」 ああ、思えば不思議な宵であった。人生に、こんな意外な経験があるとは、知らなかった。私は二人の学生と、宵の渋谷の街を酔って歩いて、失った青春を再び、現実に取り戻し得たと思った。私・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・ 何箇月か何年か、ないしは何十年の後に、一度は敵国の飛行機が夏の夕暮れに烏瓜の花に集まる蛾のように一時に飛んで来る日があるかもしれない。しかしこの大きな蛾をはたき落すにはうちの猫では間に合わない。高射砲など常識で考えても到底頼みになりそ・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・ 生れて二十箇月後に階段から転がり落ちて、頭に青や黒の斑点が出来た。その後にも海岸の波止場から落ちて溺れかかった事もあった。また射的をしている人の鉄砲の筒口の正面へ突然顔を出して危うく助かった事もあった。大きくなるに従って物を知りたがり・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
出典:青空文庫