・・・其内に附添の一人は近辺の貧乏寺へ行て和尚を連れて来る。やっと棺桶を埋めたが墓印もないので手頃の石を一つ据えてしまうと、和尚は暫しの間廻(向して呉れた。其辺には野生の小さい草花が沢山咲いていて、向うの方には曼珠沙華も真赤になっているのが見える・・・ 正岡子規 「死後」
・・・見ると、もうじつに、金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたような、きらびやかな銀河の河床の上を水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光の射した一つの島が見えるのでした。その島の平らないただきに、立派な眼もさめる・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・ 胃袋へ流し込んだ醋酸の火傷がなおるにつれ、グラフィーラの生活には希望と明るみがさして来た。これまで知らなかった、暢々したひろさでさして来た。ソモフは、万事を約束通りにしてくれ、彼女は工場へ働き出した。 まるで新しい生活がグラフィー・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・固いタコができてラジウムの火傷の痕のある手を持った小柄な五十がらみの一人の婦人が、着のみ着のままで野天のテントの中に眠っている。その蒼白い疲れた顔を見た人は、それが世界のキュリー夫人であり、ノーベル賞の外に六つの世界的な賞を持ち、七つの賞牌・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・が、その一つとして、宗教の悪影響、階級的敵としての影響力がフィルムの上で過少評価されているという事実があげられたくらいだ。 一九三〇年に入ると、ソヴェト同盟の大衆は、国際的な事実としてローマ法王ピオ十三世が世界外交のかげにもっている役割・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・子供らは、何にも知らず眠るのだが、起きると、大人たちが、昨夜も貝がらを踏む跫音がした、そこの板じきに足跡がついていると、物々しいことになった。和尚さんが、いくら呼んでも起きてくれなかったと、若い母が憤慨していることもあった。 十日ほど、・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・にこすり合わせた、見て居て、自分もくすぐったくなる程〔欄外に〕 よく見るとうるしの刷目のようなむらさえ頭や翅にあり、一寸緑色がぼやけて居るあたりの配色の美、 田舎の寺の和尚・宗匠 何でも云いたいことを・・・ 宮本百合子 「一九二七年八月より」
・・・ 三沢の話 何とかコーセン和尚あり、有名 或僧、出かけて「久しくコーセン和尚の高名をきく、麦コーセンか、米コーセンか」「味って見ろ」「喝!」「むせたか、むせたか」 雪のあくる日 三・・・ 宮本百合子 「一九二七年春より」
・・・組織的にいえば、組合の文化部は前年度の経験によって、だんだん文化の過小評価をなくしてきたし、サークルの指導者たちは文学その他の文化的活動がいわゆる「文化的」な勤労者らしくないさまざまの栄養をうけていることについて十分な注意をよびさまされてき・・・ 宮本百合子 「一九四七・八年の文壇」
・・・昔のプロレタリア文学運動にたいする政治的偏向の批判とか、文学における世界観の課題にたいする過小評価、作家論の場合は平野謙の小林多喜二にたいする批評などのようなまったく本質からはずれた形をとります。そして、一貫してプロレタリア文学運動に指導的・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
出典:青空文庫