・・・例えば先祖から持ち伝えた山を拓いて新らしい果樹園を造ろうとしたようなもので、その策は必ずしも無謀浅慮ではなかったが、ただ短兵急に功を急いで一時に根こそぎ老木を伐採したために不測の洪水を汎濫し、八方からの非難攻撃に包囲されて竟にアタラ九仭の功・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・一度もまだはいって行ってみたことのない村の、黝んだ茅屋根は、若葉の出た果樹や杉の樹間に隠見している。前の杉山では杜鵑や鶯が啼き交わしている。 ふと下の往来を、青い顔して髯や髪の蓬々と延びた、三十前後の乞食のような服装の男が、よさよさと通・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・日は来たりぬ、われ再びこの暗く繁れる無花果の樹陰に座して、かの田園を望み、かの果樹園を望むの日は再び来たりぬ。 われ今再びかの列樹を見るなり。われ今再びかの牧場を見るなり。緑草直ちに門戸に接するを見、樹林の間よりは青煙閑かに巻きて空にの・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・あの形勝の好い位置にあった、庭も広く果樹なども植えてあった、恐らく永住の目的で先生が建てた家を知っている。あの時代に居た先生の二度目の奥さんを知っている。あの頃は先生もまだ若々しく、時には奥さんに軽い洋装をさせ、一緒に猿町辺を散歩した……先・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・き乙女の影、走り寄りて桃金嬢の冠を捧ぐとか、真なるもの、美なるもの、兀鷹の怒、鳩の愛、四季を通じて五月の風、夕立ち、はれては青葉したたり、いずかたよりぞレモンの香、やさしき人のみ住むという、太陽の国、果樹の園、あこがれ求めて、梶は釘づけ、た・・・ 太宰治 「喝采」
・・・そうしてそのあとに豊富な果樹の収穫の山の中に死んで行く「過去」の老翁の微笑が現われ、あるいはまた輝く向日葵の花のかたわらに「未来」を夢みる乙女の凝視が現われる。これらは立派な連句であり俳諧である。 しかしこれらの一つ一つのシーンは多くの・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・油絵の風景画などでも、破れた木柵、果樹などの前景に雑草の乱れたような題材は今でもいちばんに心を引かれる。 東京に家を持ってからの事である。ある日巡査がやって来て、表の塀の下にひどく草がはえているから抜くようにと注意して行った。見るとなる・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・半農半商ともいうべきそういう人々の庭には梅、桃、梨、柿、枇杷の如き果樹が立っている。 去年の春、わたくしは物買いに出た道すがら、偶然茅葺屋根の軒端に梅の花の咲いていたのを見て、覚えず立ちどまり、花のみならず枝や幹の形をも眺めやったのであ・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ただ余が先生について得た最後の報知は、先生がとうとう学校をやめてしまって、市外の高台に居を卜しつつ、果樹の栽培に余念がないらしいという事であった。先生は「日本における英国の隠者」というような高尚な生活を送っているらしく思われた。博士問題に関・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・けれども一文芸院を設けて優にその目的が達せられるように思うならば、あたかも果樹の栽培者が、肝心の土壌を問題外に閑却しながら、自分の気に入った枝だけに袋を被せて大事を懸ける小刀細工と一般である。文芸の発達は、その発達の対象として、文芸を歓迎し・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
出典:青空文庫