・・・川の水が涸れないと、川の中の発電所の仕事はひどくやり難い。いや、殆んど出来ない。一冬で出来上らないと、春、夏、秋を休んで、又その次の冬でないと仕事が出来ない。 一冬で、巨大な穴、数万キロの発電所の掘鑿をやるのには、ダイナマイトも坑夫も多・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・暗の閾から朧気な夢が浮んで、幸福は風のように捕え難い。そこで草臥た高慢の中にある騙された耳目は得べき物を得る時無く、己はこの部屋にこの町に辛抱して引き籠っているのだ。世間の者は己を省みないのが癖になって、己を平凡な奴だと思っているのだ。(家・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・あんな処に杉など育つものでもない、底は硬い粘土なんだ、やっぱり馬鹿は馬鹿だとみんなが云って居りました。 それは全くその通りでした。杉は五年までは緑いろの心がまっすぐに空の方へ延びて行きましたがもうそれからはだんだん頭が円く変って七年目も・・・ 宮沢賢治 「虔十公園林」
・・・然し常にこの世に争闘が絶えないと同時に、それは実現し難いものだと思います。例えば親子間の愛――この世にたった一つしかないいきさつですらも、どれだけ円満にいっていましょう。愛と平和――それは今の経済学、哲学とかの学問で説明したり、解剖したりす・・・ 宮本百合子 「愛と平和を理想とする人間生活」
・・・ その時分から松屋のを使いはじめ、永年、そればかりをつかっていたら、二、三年前、体がひどく疲労したことがあって、その弱っている視力に松屋のダーク・ブルーの、どっちかというと堅い感じの枠が大変苦しく窮屈に感じられた。困った、といっていたら・・・ 宮本百合子 「打あけ話」
・・・ 実際花房の気の付いた通りに、翁の及び難いところはここに存じていたのである。 花房は大学を卒業して官吏になって、半年ばかりも病院で勤めていただろう。それから後は学校教師になって、Laboratorium に出入するばかりで、病人とい・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・最初誰かに脹満だと云われたので、水を取って貰うには、外科のお医者が好かろうと思って、誰かの処へ行くと、どうも堅いから癌かも知れないと云って、針を刺してくれなかったと云うのです」「それじゃあ腹水か、腹腔の腫瘍かという問題なのだね。君は見た・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・それを明瞭に感じはするが、これもいかんとも私にはなし難い。理論はそういうときに、口惜しいけれども飛び出してしまう。書くときには疲れないが書けないときにはひどく疲れてへとへとになるのも、このときである。 これは作家の生活を中心とした見方の・・・ 横光利一 「作家の生活」
・・・秋三は勘次にそう云って棺を横に倒すと安次の死体の傍へ近寄せた。 二人は安次の身体を転がしながら、棺の中へ掻き寄せようとした。が、張り切った死人の手足が縁に閊えて嵌らなかった。秋三は堅い柴を折るように、膝頭で安次の手足の関節をへし折った。・・・ 横光利一 「南北」
・・・なんだか病身らしくて、こわれもののような気がするので親み難い。それに感情が鋭敏過ぎて、気味の悪いような、自分と懸け離れているような所がある。それだから向うへ着いて幾日かの間は面倒な事もあろうし、気の立つような事もあろうし、面白くないことだろ・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫