・・・船橋へ転地して一箇年経って、昭和十一年の秋に私は自動車に乗せられ、東京、板橋区の或る病院に運び込まれた。一夜眠って、眼が覚めてみると、私は脳病院の一室にいた。 一箇月そこで暮して、秋晴れの日の午後、やっと退院を許された。私は、迎えに来て・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・ここに勤めてから、もうかれこれ一箇年以上になりますが、日ましに自分がくだらないものになって行くような気がして、実に困っているのです。 私があなたの小説を読みはじめたのは、横浜の軍需工場で事務員をしていた時でした。「文体」という雑誌に載っ・・・ 太宰治 「トカトントン」
「晩年」も品切になったようだし「女生徒」も同様、売り切れたようである。「晩年」は初版が五百部くらいで、それからまた千部くらい刷った筈である。「女生徒」は初版が二千で、それが二箇年経って、やっと売切れて、ことしの初夏には更に千・・・ 太宰治 「「晩年」と「女生徒」」
・・・ 右の如く満一箇年、きびしき摂生、左肺全快、大丈夫と、しんから自信つきしのち、東京近郊に定住。 なお、静養中の仕事は、読書と、原稿一日せいぜい二枚、限度。一、「朝の歌留多。」 一、「猶太の王。」 右の二作、・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
はしがき もの思う葦という題名にて、日本浪曼派の機関雑誌におよそ一箇年ほどつづけて書かせてもらおうと思いたったのには、次のような理由がある。「生きて居ようと思ったから。」私は生業につとめなければいけないではないか。簡単な理由・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・わたくしは最初雇われた時から、無事に三個年勤められれば満足だと思っていた。三年たてば三田の学窓からも一人や二人秀才の現れないはずはない。とにかくそれまでの間に、森先生に御迷惑をかけるような失態を演じ出さないようにと思ってわたくしは毎週一、二・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
自分に与えられたほんとの課題は、ソヴェト生産拡張五箇年計画と芸術との関係について、ちょっと簡単に書いて貰えますまいか、というのだった。 ところが、自分はそのことについて、この頃『ナップ』へ毎号つづけて書いている。また、・・・ 宮本百合子 「「鎌と鎚」工場の文学研究会」
・・・「殺人犯で、懲役五箇年です。」緩やかな、力の這入った詞で、真面目な、憂愁を帯びた目を、怯れ気もなく、大きくって、己を見ながら、こう云った。「その刑期を済ましたのかね。」「ええ。わたくしの約束した女房を附け廻していた船乗でした。」・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
私が漱石と直接に接触したのは、漱石晩年の満三個年の間だけである。しかしそのおかげで私は今でも生きた漱石を身近に感じることができる。漱石はその遺した全著作よりも大きい人物であった。その人物にいくらかでも触れ得たことを私は今でも幸福に感じ・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫