・・・ 冒頭のドニエプル河畔の茫漠たる風景も静的である。こういう自然の中に生まれた国民のまねを日本人がしようとするのはほんとうに無意義なことである。 この映画は文部省あたりの思想善導映画として使われうる可能性をもっている。これは皮肉ではな・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・観音の境内や第六区の路地や松屋の屋上や隅田河畔のプロムナードや一銭蒸汽の甲板やそうした背景の前に数人の浅草娘を点出して淡くはかない夢のような情調をただよわせようという企図だとすれば、ある程度までは成効しているようである。ただもう一息という肝・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・そうして河畔に茂った「せんだん」の花がほろほろこぼれているような夏の日盛りの場面がその背景となっているのである。 父はいろいろの骨董道楽をしただけに煙草道具にもなかなか凝ったものを揃えていた。その中に鉄煙管の吸口に純金の口金の付いたのが・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・ 河畔の蘆の中でしきりに葭切が鳴いている。草原には矮小な夾竹桃がただ一輪真赤に咲いている。綺麗に刈りならした芝生の中に立って正に打出されようとする白い球を凝視していると芝生全体が自分をのせて空中に泛んでいるような気がしてくる。日射病の兆・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・ペンク氏は「どこかエルベ河畔に似ている」と言う。…… ……宿の小僧に連れられて電車で徐家ジカウェイの測候所を見に行く。郊外へ出ると麦の緑に菜の花盛りでそら豆も咲いている。百姓屋の庭に、青い服を着て坊主頭に豚の尾をたらした小児が羊を繩でひ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・えびのいる清洌な小川の流れ、それに緑の影をひたす森や山、河畔に咲き乱れる草の花、そういうようなもの全体を引っくるめた田舎の自然を象徴するえびでなければならない。東京でさかな屋から川えびを買って来てこの子供にやってみればこの事は容易に証明され・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・ 初めて尋ねた先生の家は白川の河畔で、藤崎神社の近くの閑静な町であった。「点をもらいに」来る生徒には断然玄関払いを食わせる先生もあったが、夏目先生は平気で快く会ってくれた。そうして委細の泣き言の陳述を黙って聞いてくれたが、もちろん点をく・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・ 稲田桑畑芋畑の連なる景色を見て日本国じゅう鋤鍬の入らない所はないかと思っていると、そこからいくらも離れない所には下草の茂る雑木林があり河畔の荒蕪地がある。汽車に乗ればやがて斧鉞のあとなき原始林も見られ、また野草の花の微風にそよぐ牧場も・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・セーヌ河畔の釣り人や、古本店、リュクサンブールの人形芝居、美術学生のネクタイ、蛙の料理にもどこかに俳諧のひとしずくはある。この俳諧がこの国の基礎科学にドイツ人の及ばない独自な光彩を与え、この国の芸術に特有な新鮮味を添えているのではないかとも・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・ 秋山大尉は、そうと油断さしておいて、或日××河へ飛込んだがだ。河畔の柳の樹に馬を繋いで、鉛筆で遺書を書いてそいつを鞍に挟んでおいて、自分は鉄橋を渉って真中からどぶんと飛込んじゃった。残念でならんがだ。」爺さんは調子に乗って来ると、時々・・・ 徳田秋声 「躯」
出典:青空文庫