・・・鏡をはめこんだカップ・ボオド、動きながら燃えている幾つかの電燈、菜の花をさした硝子の花瓶、――そんな物が、いずれも耳に聞えない声を出して、ひしめいてでもいるように、慌しく眼にはいって来る。が、それらのすべてよりも本間さんの注意を惹いたものは・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・仕事をすまして寝付こうとする十一時前後になると、神経の過敏になったお前たちは、夢などを見ておびえながら眼をさますのだった。暁方になるとお前たちの一人は乳を求めて泣き出した。それにおこされると私の眼はもう朝まで閉じなかった。朝飯を食うと私は赤・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・其処にもまた、呪うべく愍れむべき性急な心が頭を擡げて、深く、強く、痛切なるべき考察を回避し、早く既に、あたかも夫に忠実なる妻、妻に忠実なる夫を笑い、神経の過敏でないところの人を笑うと同じ態度を以て、国家というものに就いて真面目に考えている人・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・ 時に、勿体ないが、大破落壁した、この御堂の壇に、観音の緑髪、朱唇、白衣、白木彫の、み姿の、片扉金具の抜けて、自から開いた廚子から拝されて、誰が捧げたか、花瓶の雪の卯の花が、そのまま、御袖、裳に紛いつつ、銑吉が参らせた蝋燭の灯に、格天井・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・と見れば次の室は片付きて、畳に塵なく、床花瓶に菊一輪、いつさしすてしか凋れたり。 東枕 襖左右に開きたれば、厚衾重ねたる見ゆ。東に向けて臥床設けし、枕頭なる皿のなかに、蜜柑と熟したる葡萄と装りたり。枕をば高くしつ。病・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・ここだけ畳を三畳ほどに、賽銭の箱が小さく据って、花瓶に雪を装った一束の卯の花が露を含んで清々しい。根じめともない、三本ほどのチュリップも、蓮華の水を抽んでた風情があった。 勿体ないが、その卯の花の房々したのが、おのずから押になって、御廚・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 右左に大な花瓶が据って、ここらあたり、花屋およそ五七軒は、囲の穴蔵を払ったかと思われる見事な花が夥多しい。白菊黄菊、大輪の中に、桔梗がまじって、女郎花のまだ枯れないのは、功徳の水の恵であろう、末葉も落ちず露がしたたる。 時に、腹帯・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・がらくた壇上に張交ぜの二枚屏風、ずんどの銅の花瓶に、からびたコスモスを投込んで、新式な家庭を見せると、隣の同じ道具屋の亭主は、炬燵櫓に、ちょんと乗って、胡坐を小さく、風除けに、葛籠を押立てて、天窓から、その尻まですっぽりと安置に及んで、秘仏・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ある、何から何まで悉く趣味の感じで満たされて居るから、塵一つにも眼がとまる、一つ落着が悪くとも気になる、庭の石に土がついたまで捨てて置けないという、心の状態になるのである、趣味を感ずる神経が非常に過敏になる、従て一動一作にも趣味を感じ、・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・予の神経はとかく一種の方面に過敏に働く。厄介に思われてるんじゃないかしら、何だか去年や其前年来た時のようではない。どうしたって来たから仕方なしという待遇としか思われない。来ねばよかったな、こりゃ飛だ目に遭ったもんだ。予は思わず歎息が出た。・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
出典:青空文庫