・・・某が買い求め候香木、畏くも至尊の御賞美を被り、御当家の誉と相成り候事、存じ寄らざる儀と存じ、落涙候事に候。 その後某は御先代妙解院殿よりも出格の御引立を蒙り、寛永九年御国替の砌には、三斎公の御居城八代に相詰め候事と相成り、あまつさえ殿御・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・ 三度目に灸が五号の部屋を覗くと、女の子は座蒲団を冠って頭を左右に振っていた。「お嬢ちゃん。」 灸は廊下の外から呼んでみた。「お這入りなさいな。」と、婦人はいった。 灸は部屋の中へ這入ると暫く明けた障子に手をかけて立って・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・しかし毎年春が来て、あの男の頭上の冠を奪うと、あの男は浅葱の前掛をして、人の靴を磨くのである。夏の生活は短い。明るい色の衣裳や、麦藁帽子や、笑声や、噂話はたちまちの間に閃き去って、夢の如くに消え失せる。秋の風が立つと、燕や、蝶や、散った花や・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・そして額の上には永遠にしぼむことのない月桂樹の冠が誇らしくこびりついている。 この顔こそは我らの生の理想である。四 苦患を堪え忍べ。 苦患に堪える態度は一つしかない。そしてそれをベエトォフェンの面が暗示する。苦患に打・・・ 和辻哲郎 「ベエトォフェンの面」
出典:青空文庫