・・・隣家の少年では防ぎがたい。おつかいものは、ただ煎餅の袋だけれども、雀のために、うちの小母さんが折入って頼んだ。 親たちが笑って、「お宅の雀を狙えば、銃を没収すると言う約条ずみです。」 かつて、北越、倶利伽羅を汽車で通った時、峠の・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・しかしここがお互いに解しがたいことであるらしい。 貧乏人の子だくさんというようなことも、僕の今の心理状態と似よった理由で解釈されるのかもしれない。そうかといって、結婚二十年の古夫婦が、いまさら恋愛でもないじゃないか。人間の自然性だの性欲・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・ 家浮沈の問題たる前途の考えも、措き難い目前の仕事に逐われてはそのままになる。見舞の手紙見舞の人、一々応答するのも一仕事である。水の家にも一日に数回見廻ることもある。夜は疲労して座に堪えなくなる。朝起きては、身の内の各部に疼痛倦怠を覚え・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・毎日新聞社は南風競わずして城を明渡さなくてはならなくなっても安い月給を甘んじて悪銭苦闘を続けて来た社員に一言の挨拶もなく解散するというは嚶鳴社以来の伝統の遺風からいっても許しがたい事だし、自分の物だからといって多年辛苦を侶にした社員をスッポ・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・が、既に右眼の視力を奪われたからには、霜を踏んで堅氷到るで、左眼もまたいつ同じ運命に襲われるかも計り難いのは予期されるので、決して無関心ではいられなかったろう。それにもかかわらず絶倫の精力を持続して『八犬伝』以外『美少年録』をも『侠客伝』を・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・それゆえに有難いことでございます。もしわれわれが事業を遺すことができなければ、われわれに神様が言葉というものを下さいましたからして、われわれ人間に文学というものを下さいましたから、われわれは文学をもってわれわれの考えを後世に遺して逝くことが・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・私共は有がたいと思わなければなりません。そう思ったついでに、お山へ上ってお詣りをして来ます」と、言いました。「ほんとうに、お前の言うとおりだ。私も毎日、神様を有がたいと心でお礼を申さない日はないが、つい用事にかまけて、たびたびお山へお詣・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
・・・ 併し古い例であるが、故独歩の作品中のある物の如きは、読んでいると、如何にも作者自身が自然に対して思った孤独と云った感じが、一種云い難い力を以て読者の胸に迫るのを感ずる。独歩その人が悠々たる自然に対して独り感じたんだなと思うその姿がまざ・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・ 女は暫らく私を見凝めるともなく、想いにふけるともなく捕えがたい視線をじっと釘づけにしていたが、やがていきなり歪んだ唇を痙攣させたかと思うと、「私の従兄弟が丁度お宅みたいなからだ恰好でしたけど、やっぱり肺でしたの」 膝を撫でなが・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・しかし、文壇にしても相当怪しい会話を平気で書いている作家が多く、そのエスプリのなさは筆蹟と同じで、どうにもなおし難いものかも知れない。 文壇で、女の会話の上品さを表現させたら、志賀直哉氏の右に出るものがない。が、太宰治氏に教えられたこと・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
出典:青空文庫