・・・ と祖母も莞爾して、嫁の記念を取返す、二度目の外出はいそいそするのに、手を曳かれて、キチンと小口を揃えて置いた、あと三冊の兄弟を、父の膝許に残しながら、出しなに、台所を竊と覗くと、灯は棕櫚の葉風に自から消えたと覚しく……真の暗がりに、も・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・「正念寺様におまいりをして、それから木賃へ行くそうです。いま参りましたのは、あの妓がちょっと……やかたへ連れて行きましたの。」 突当らしいが、横町を、その三人が曲りしなに、小春が行きすがりに、雛妓と囁いて「のちにえ。」と言って別・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・現世の心の苦しみが堪えられませぬで、不断常住、その事ばかり望んではおりますだが、木賃宿の同宿や、堂宮の縁下に共臥りをします、婆々媽々ならいつでも打ちも蹴りもしてくれましょうが、それでは、念が届きませぬ。はて乞食が不心得したために、お生命まで・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・ところが或る朝、突然刺を通じたので会って見ると、斜子の黒の紋付きに白ッぽい一楽のゾロリとした背の高いスッキリした下町の若檀那風の男で、想像したほど忌味がなかった。キチンと四角に坐ったまま少しも膝をくずさないで、少し反身に煙草を燻かしながらニ・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・と車夫は提灯の火影に私の風体を見て、「木賃ならついそこにあるが……私が今曲ってきたあの横町をね、曲ってちょっと行くと、山本屋てえのと三州屋てえのと二軒あるよ。こっちから行くと先のが山本屋で、山本屋の方が客種がいいって話だから、そっちへお行で・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・これをやるから木賃へ泊まってくれ。今夜は仲間と通夜をするのだから。」と、もらった銀貨一枚を出した。文公はそれを受け取って、「それじゃア親父さんの顔を一度見せてくれ。」「見ろ。」と言って、弁公はかぶせてあったものをとったが、この時はも・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・その他周囲の物すべてが皆なその処を得て、キチンとしている。 室の下等にして黒く暗憺なるを憂うるなかれ、桂正作はその主義と、その性情によって、すべてこれらの黒くして暗憺たるものをば化して純潔にして高貴、感嘆すべく畏敬すべきものとなしている・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・文人は文人で自己流の文章を尺度にしてキチンと文体を定めたがッたり、実に馬鹿馬鹿しい想像をもッているのが多いから情ないのサ。親父は親父の了簡で家をキチンと治めたがり、息子は息子の了簡で世を渡りたがるのだからね。自己が大能力があッたら乱雑の世界・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・だから、自分でキチン/\と綺麗にしておいた方がいゝよ。そしたら却々愛着が出るもんだ。」 それから、看守の方をチラッと見て、「ヘン、しゃれたもんだ、この不景気にアパアト住いだなんて!」 と云って、出て行った。 長い・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・何時もズロースなんかはいたことがないのに、押入れの奥まったところから、それも二枚取り出してきて、キチンと重ねてはいた。それから財布のなかを調べて懐に入れ、チリ紙とタオルを枕もとに置いた。そういう動作をしているお前の妹の顔は、お前が笑うような・・・ 小林多喜二 「母たち」
出典:青空文庫