・・・先この急行列車の序開があった後には旅館の淋しさ。人が一ぱいいながら如何にもがらんとした広い旅館。見も知らぬ気味悪い部屋、怪気な寝床の淋しさが続いて来る。私には何がさて置き自分の寝床ほど大切なものはない。寝床は人生の神聖なる殿堂である。人・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・人間の智識が発達すれば昔のようにロマンチックな道徳を人に強いても、人は誰も躬行するものではない。できない相談だという事がよく分って来るからである。これだけでもロマンチックの道徳はすでに廃れたと云わなければならない。その上今日のように世の中が・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・ここは最大急行で通らないといけません。」 楢夫も仕方なく、駈け足のしたくをしました。「さあ、行きますぞ。一二の三。」小猿はもう駈け出しました。 楢夫も一生けん命、段をかけ上りました。実に小猿は速いのです。足音がぐゎんぐゎん響き電・・・ 宮沢賢治 「さるのこしかけ」
・・・○大雨 急行がとまっている。「久栄で 白米一俵とりにきよった たき出しでもするじゃあろうて」 汽車/Kisha いんでてか? 麦の穂先だけのぞいている、 こっちの川を越すと店へ漬る、「水ちゅうもんは早うひくのう あん・・・ 宮本百合子 「Sketches for details Shima」
・・・となりに居た海軍大佐金沢午後七時〇五分着同三十分信越線のりかえのとき、急行券を買う、そのとき私共と同盟し自分は私共の切符を買ってくれるから、私共はその人の荷物を持ち、席をとることとする。金沢迄無事に行くことは行ったが、駅に下ると、金沢の十五・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・上野行の急行に乗込む時は、人間が夢中になって振り搾る腕力がどんな働をあらわすか、ひとと自分とで経験する好機会であったと云うほかない。 列車は人と貨物を満載し、膏汗を滲ませるむし暑さに包まれながら、篠井位までは、急行らしい快速力で走った。・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
出典:青空文庫