・・・のみならず、―― 保吉はこの「のみならず」の前につむじ風に面するたじろぎを感じた。のみならず窮状を訴えた後、恩恵を断るのは卑怯である。義理人情は蹂躙しても好い。卑怯者になるだけは避けなければならぬ。しかし金を借りることは、――少くとも金・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・小田原町城内公園に連日の人気を集めていた宮城巡回動物園のシベリヤ産大狼は二十五日午後二時ごろ、突然巌乗な檻を破り、木戸番二名を負傷させた後、箱根方面へ逸走した。小田原署はそのために非常動員を行い、全町に亘る警戒線を布いた。すると午後四時半ご・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・この地方の蒙った惨害の話から農家一般の困窮で、老人の窮状をジャスティファイしてやりたいと思ったのである。 すると、その話の途中で、老道士は、李の方へ、顔をむけた。皺の重なり合った中に、可笑しさをこらえているような、筋肉の緊張がある。・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・僕は火の粉の舞い上るのを見ながら、ふと宮城の前にある或銅像を思い出した。この銅像は甲冑を着、忠義の心そのもののように高だかと馬の上に跨っていた。しかし彼の敵だったのは、――「うそ!」 僕は又遠い過去から目近い現代へすべり落ちた。そこ・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・いろいろ窮状を談して執念く頼んでみたが、旅の者ではあり、なおさら身元の引受人がなくてはときっぱり断られて、手代や小僧がジロジロ訝しそうに見送る冷たい衆目の中を、私は赤い顔をして出た。もう一軒頼んでみたが、やっぱり同じことであった。いったいこ・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・先生、嚢中自有レ銭という身分ではないから、随分切詰めた懐でもって、物価の高くない地方、贅沢気味のない宿屋を渡りあるいて、また機会や因縁があれば、客を愛する豪家や心置ない山寺なぞをも手頼って、遂に福島県宮城県も出抜けて奥州の或辺僻の山中へ入っ・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・町幅一杯ともいうべき竜宮城に擬したる大燈籠の中に幾十の火を点ぜるものなど、火光美しく透きて殊に目ざましく鮮やかなりし。 二十六日、枝幸丸というに乗りて薄暮岩内港に着きぬ。この港はかつて騎馬にて一遊せし地なれば、我が思う人はありやなしや、・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・ そんなわけで、なまじっかなところではとてもあぶないので、大部分の人は、とおい山の手の知り合いの家々や、宮城前の広地や、芝、日比谷、上野の大公園なぞを目がけてひなんしたのです。平生はふつうの人のはいれない、離宮や御えんや、宮内省の一部な・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・御判読下さいまし。師走もあと一両日、商人、尻に火のついた思いでございます。深夜、三時ころなるべし。田所美徳。太宰治様。」「御手紙拝見いたしました。御窮状の程、深く拝察致します。こんな御返事申し上ることが自分でも不愉快だし、殊にあなたにど・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・以前は、宮城県にいたようで、貯金帳の住所欄には、以前のその宮城県の住所も書かれていて、そうして赤線で消されて、その傍にここの新しい住所が書き込まれています。女の局員たちの噂では、なんでも、宮城県のほうで戦災に遭って、無条件降伏直前に、この部・・・ 太宰治 「トカトントン」
出典:青空文庫