・・・ 職業的案内者がこのような不幸な境界に陥らぬためには絶えざる努力が必要である。自分の日々説明している物を絶えず新しい目で見直して二日に一度あるいは一月に一度でも何かしら今まで見いださなかった新しいものを見いだす事が必要である。それにはも・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・しかし映画が単なる複製の技術としてのただの活動写真というだけの境界から脱却して、それ自身の独自な領域を自覚するようになり、創作の新しいミリューとして発見されると同時に行なわれはじめた映画制作の方法がすなわちこのモンタージュである。言わば映画・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・露骨な真実、平板な虚欺、その二つの世界の境界に中立地帯のようにしかも高次元の空間に組み立てられた俳諧の世界がある。実と虚と相接するところに虚実を超越した真如の境地があって、そこに風流が生まれ、粋が芽ばえたのではないかという気がするのである。・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(※[#ローマ数字7、1-13-27])」
・・・ 若い時分キリスト教会に出入りして道を求めたが得る所がなかったと云っていた。禅に志して坐禅をやったことがあったが、そこにも求めるものは得られなかった。晩年には真宗の教義にかなり心を引かれていたそうである。 学生時代には柔道もやり、ま・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・これらは英国造船協会の雑誌に掲載され、当時の学界の注意を引いたものである。同協会から賞牌を贈られたのは多分これに関聯してではなかったかと想像される。また船舶の胴体に働く剪断応力の分布について在来の考えの不備な点を考察した論文がある。これも重・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・土人の女がハイカラな洋装をしてカトリックの教会からゾロゾロ出て来るのに会った。 寺へ着くと子供が蓮の花を持って来て鼻の先につきつけるようにして買え買えとすすめる。貝多羅に彫った経をすすめる老人もある。ここの案内をした老年の土人は病気で熱・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ 葬式は一番町のある教会で行なわれた。梅雨晴れのから風の強い日であって、番町へんいったいの木立ちの青葉が悩ましく揺れ騒いで白い葉裏をかえしていたのを覚えている。自分は教会の門前で柩車を出迎えた後霊柩に付き添って故人の勲章を捧持するという・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・ 二「今日本にあらゆる種類の全く無用な団体を作ろうとする熱、一種の狂熱がある……文学芸術の研究は決してかかる協会に伴なうものではない。文学芸術の研究は個人の努力と、それから独創的思索にたよるものだ。有名な書物を書き有名な・・・ 寺田寅彦 「人の言葉――自分の言葉」
・・・自分の室へ帰って先日国民美術協会でやった講演「雲の話」の筆記を校正していた。一、二頁見ているうちに急に全身が熱くなって来た。蒸風呂にでもはいったようで室内の空気がたまらなく圧しつけるように思われた。すぐに立って左側の窓をあけたが風を引きかえ・・・ 寺田寅彦 「病中記」
・・・キングは名代を遣わして参列させ、その他ケンブリッジ大学や王立協会の主要な人々も会葬し、荘園の労働者は寺の門前に整列した。墓はターリング・プレースの花園に隣った寺の墓地の静かな片隅にある。赤い砂岩の小さな墓標には "For now we se・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
出典:青空文庫