・・・上野の音楽学校に開かれる演奏会の切符を売る西洋の楽器店は、二軒とも人の知っている通り銀座通りにある。新しい美術品の展覧場「吾楽」というものが建築されたのは八官町の通りである。雑誌『三田文学』を発売する書肆は築地の本願寺に近い処にある。華美な・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ただ今お乗り換えの方は切符を拝見致します。次は数寄屋橋、お乗換の方は御在いませんか。」「ありますよ。ちょいと、乗りかえ。本所は乗り換えじゃないんですか。」髪を切り下げにした隠居風の老婆が逸早く叫んだ。 けれども車掌は片隅から一人々々・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・レデーは私が払っておきますといって黒い皮の蟇口から一ペネー出して切符売に渡した。乗合は少ない。向側に派出ななりをしている若い女が乗っている。すると我輩の随行しているレデーが突然あなたはメリー・コレリのマスタークリスチアンを御読みなさいました・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・九、ジョバンニの切符「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所です。」 窓の外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四棟ばかり立って、その一つの平屋根・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・それから切符を買って、イーハトーヴ行きの汽車に乗りました。汽車はいくつもの沼ばたけをどんどんどんどんうしろへ送りながら、もう一散に走りました。その向こうには、たくさんの黒い森が、次から次と形を変えて、やっぱりうしろのほうへ残されて行くのでし・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・たとえば、(きょう本を買うにしても三味この頃芝居の切符を買う人の買い方が大変変って来たとききます。預金封鎖の強化と失業におびやかされて、芝居ずきの人も手当りばったりに金を出さなくなったわけです。本やでも同じことが云われはじめました。本当にい・・・ 宮本百合子 「朝の話」
・・・モスクワでウラジヴォストクまでの切符を買う時ノヴォシビリスクで途中下車をするようにしようかとまで思ったところだ。新シベリアの生産と文化の中軸だ。真夜中で〇・一五度では何とも仕方ない。車室の窓のブラインドをあげ、毛布にくるまってのぞいていたら・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・夜が明けてから、大尉は走り廻って、切符の世話やら荷物の世話やらしてくれる。 汽車の窓からは、崖の上にぴっしり立て並べてある小家が見える。どの家も戸を開け放して、女や子供が殆ど裸でいる。中には丁度朝飯を食っている家もある。仲為のような為事・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・「明日のオペラ座の切符手に入り候に付、主人同道お誘いに参り可申候、何卒御待受被下度候。母上様」と云うのでした。お母あ様の所へ出す手紙を、あなたはわたくしの部屋に落してお置きになったですねえ。 女。おや。そうでしたか。あの手紙はあなたの所・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「最終の午後」
・・・郊外電車の改札口で、乗客をほったらかし、鋏をかちかち鳴らしながら同僚を追っ馳け廻している切符きり、と云った青年であった。「お話をきくと毎日が大変らしいようですね。」 先ずそんなことから梶は云った。栖方は黙ったまま笑った。ぱッと音立て・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫