・・・ですから夫婦仲の好かった事は、元より云うまでもないでしょうが、殊に私が可笑しいと同時に妬ましいような気がしたのは、あれほど冷静な学者肌の三浦が、結婚後は近状を報告する手紙の中でも、ほとんど別人のような快活さを示すようになった事でした。「・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・彼は絶えず手紙を書いては彼の近状を報告してよこした。しかし彼のいないことは多少僕にはもの足らなかった。僕はKと会う度に必ず彼の噂をした。Kも、――Kは彼に友情よりもほとんど科学的興味に近いある興味を感じていた。「あいつはどう考えても、永・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・、帰命頂礼熊野三所の権現、分けては日吉山王、王子の眷属、総じては上は梵天帝釈、下は堅牢地神、殊には内海外海竜神八部、応護の眦を垂れさせ給えと唱えたから、その跡へ並びに西風大明神、黒潮権現も守らせ給え、謹上再拝とつけてやった。」「悪い御冗・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・――夫がマルセイユに上陸中、何人かの同僚と一しょに、あるカッフェへ行っていると、突然日本人の赤帽が一人、卓子の側へ歩み寄って、馴々しく近状を尋ねかけた。勿論マルセイユの往来に、日本人の赤帽なぞが、徘徊しているべき理窟はない。が、夫はどう云う・・・ 芥川竜之介 「妙な話」
・・・まだまだ此外に今上皇帝と歴代の天子様の御名前が書いてある軸があって、それにも御初穂を供える、大祭日だというて数を増す。二十四日には清正公様へも供えるのです。御祖母様は一つでもこれを御忘れなさるということはなかったので、其他にも大黒様だの何だ・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・ はるかに紫禁城を眺めている横顔の写真。碧雲寺を背景にして支那服を着て立っている写真。私はその二枚を山田君に手渡した。「これはいい。髪の毛も、濃くなったようですね。」山田君は、何よりも先に、その箇所に目をそそいで言った。「でも、・・・ 太宰治 「佳日」
・・・所謂錦上更ニ花ヲ加ル者、蓋亦絶テ無クシテ僅ニ有ル者ナリ。近歳官此ノ山水ノ一区ヲ修メ以テ公園トナス。囿方数里。車馬ノ者モ往キ、杖履ノ者モ往ク。民偕ニ之ヲ楽ンデ其大ナルヲ知ラズ。京中都人士ガ行楽ノ地、実ニ此ヲ以テ最第一トナス。」 上野の桜は・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ 余が某氏の言に疑を挟むのは、自分に最も密接の関係のある文壇の近状に徴して、決してそうではあるまいとの自信があるからである。政府は今日までわが文芸に対して何らの保護を与えていない。むしろ干渉のみを事とした形迹がある。それにもかかわらず、・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・「パンと牛乳買って貰いなさいよ」と云った。「漬けてなら食べられるから」「そうしようかしら――じゃ買って下さい」 看守は小机に頬杖をついたまま、「きかなけりゃ駄目だ」「今上で私につたえろと云ったんだから、いいんです・・・ 宮本百合子 「刻々」
出典:青空文庫