・・・島原や祇園の花見の宴も、苦肉の計に耽っている彼には、苦しかったのに相違ない。……「承れば、その頃京都では、大石かるくて張抜石などと申す唄も、流行りました由を聞き及びました。それほどまでに、天下を欺き了せるのは、よくよくの事でなければ出来・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・が、その眉間の白毫や青紺色の目を知っているものには確かに祇園精舎にいる釈迦如来に違いなかったからである。 釈迦如来は勿論三界六道の教主、十方最勝、光明無礙、億々衆生平等引導の能化である。けれどもその何ものたるかは尼提の知っているところで・・・ 芥川竜之介 「尼提」
・・・が、これは、勇しき男の獅子舞、媚かしき女の祇園囃子などに斉しく、特に夜に入って練歩行く、祭の催物の一つで、意味は分らぬ、と称うる若連中のすさみである。それ、腰にさげ、帯にさした、法螺の貝と横笛に拍子を合せて、やしこばば、うばば、・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・お米さんにまけない美人をと言って、若主人は、祇園の芸妓をひかして女房にしていたそうでありますが、それも亡くなりました。 知事――その三年前に亡くなった事は、私も新聞で知っていたのです――そのいくらか手当が残ったのだろうと思われます。当時・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・ おもちゃ屋の隣に今川焼があり、今川焼の隣は手品の種明し、行灯の中がぐるぐる廻るのは走馬灯で、虫売の屋台の赤い行灯にも鈴虫、松虫、くつわ虫の絵が描かれ、虫売りの隣の蜜垂らし屋では蜜を掛けた祇園だんごを売っており、蜜垂らし屋の隣に何屋があ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ それともう一つ私が感心したのは、祇園や先斗等の柳の巷の芸者や妓たちが、客から、おいどうだ、何か買ってやろうかとか、芝居へ連れて行てやろうかとか、こんどまた来るよ、などと言われた時に使う「どうぞ……」という言葉の言い方である。ちょっと肩・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・いっそ蛍を飛ばすなら、祇園、先斗町の帰り、木屋町を流れる高瀬川の上を飛ぶ蛍火や、高台寺の樹の間を縫うて、流れ星のように、いや人魂のようにふっと光って、ふっと消え、スイスイと飛んで行く蛍火のあえかな青さを書いた方が、一匹五円の闇蛍より気が利い・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・田は京都生れで、中学校も京都A中、高等学校も三高、京都帝大の史学科を出ると母校のA中の歴史の教師になったという男にあり勝ちな、小心な律義者で、病毒に感染することを惧れたのと遊興費が惜しくて、宮川町へも祇園へも行ったことがないというくらいだか・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・そしてふと傍の新聞を見れば、最近京都の祇園町では芸妓一人の稼ぎ高が最高月に十万円を超えると、三段抜きの見出である。 国亡びて栄えたのは闇屋と婦人だが、闇屋にも老訓導のような哀れなのがあり、握り飯一つで春をひさぐ女もいるという。やはり栄え・・・ 織田作之助 「世相」
・・・木枯しの擬音。 ほとんど、ひや酒は、陰惨きわまる犯罪とせられていたわけである。いわんや、焼酎など、怪談以外には出て来ない。 変れば変る世の中である。 私がはじめて、ひや酒を飲んだのは、いや、飲まされたのは、評論家古谷綱武君の宅に・・・ 太宰治 「酒の追憶」
出典:青空文庫