・・・もしそれこれを憶うていよいよ感じ、瞑想静思の極にいたればわれ実に一呼吸の機微に万有の生命と触着するを感じたりき もしこの事、単にわが空漠たる信念なりとするも、わが心この世の苦悩にもがき暗憺たる日夜を送る時に当たりて、われいかにしばしば汝・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・早くいッて見れば空漠として広い虚空の中に草の蔓は何故無法に自由自在に勝手に這い回らないのだろう。ソコニハ自然の約束があるから即ち一定の有様をなして、左り巻なら左り巻、右巻ならば右巻でちゃんと螺旋をなして這いまわるのだ。虚空に抵抗物は少いのだ・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・そろそろいい時分だ、なんて書くと甚だ気障な空漠たる美辞麗句みたいになってつまらないが、実朝を書きたいというのは、たしかに私の少年の頃からの念願であったようで、その日頃の願いが、いまどうやら叶いそうになって来たのだから、私もなかなか仕合せな男・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・これに反して振り返って見た月日の経過はまた自分ながら驚くほどに早いものに思われた。空漠な広野の果を見るように何一つ著しい目標のないだけに、昨日歩いて来た途と今日との境が付かない。たまたま記憶の眼に触れる小さな出来事の森や小山も、どれという見・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・北原白秋氏は、観念上の「空爆」を万葉調の長歌にかいていられる。これらすべては、明日になって日本文学史の上に顧みれば、日本文学の弱い部分をなすものであり、各作家の秀抜ならざる作品の典型となるものなのである。いろいろな芸術家が、今日の風雲に応じ・・・ 宮本百合子 「祭日ならざる日々」
・・・それにもかかわらず、作者としての眼を、どこに据えて作品を書いてゆくかということになると、何か忽々と自信なく爪立って自身の興味ふかい実際生活の彼方の空漠としたところを手探りはじめる観がある。 自分が現代の日本の恐ろしい窮乏にある農村の、し・・・ 宮本百合子 「見落されている急所」
・・・ 姫路は、あの辺の重要都市の一つであり、空爆をうけて焼かれている。バラックの駅長事務所で、小雨に打たれて列に立ちながら、連絡について、いくらかでも具体的なことを知りたいと思ったら、若い駅員は、最後に「どことも電話が通じないんだから分らん・・・ 宮本百合子 「みのりを豊かに」
出典:青空文庫