・・・……「向家の阿母さんが木村の婆さんに、今度工藤の兄さんが脳病で帰ってきたということだが、工藤でもさぞ困ることだろうと言ってたそうなが、考えてみるとつまり脳病といったようなもんさね。ヒヒヒ」 老父と耕吉とが永い晩酌にかかっていると、継母は・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・彼はあわただしい法戦の間に、昼夜唱題し得る閑暇を得たことを喜び、行住坐臥に法華経をよみ行ずること、人生の至悦であると帰依者天津ノ城主工藤吉隆に書いている。 二年の後に日蓮は許されて鎌倉に帰った。 彼は法難によって殉教することを期する・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・僕は国語と修身は農事試験場へ行った工藤さんから譲られてあるから残りは九冊だけだ。四月五日 日南万丁目へ屋根換えの手伝え(にやられた。なかなかひどかった。屋根の上にのぼっていたら南の方に学校が長々と横わっているように見えた・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
出典:青空文庫