・・・ と言うのに、――逆について船がぐいと廻りかけると、ざぶりと波が立った。その響きかも知れぬ。小さな御幣の、廻りながら、遠くへ離れて、小さな浮木ほどになっていたのが、ツウと浮いて、板ぐるみ、グイと傾いて、水の面にぴたりとついたと思うと、罔・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ と、うっかりらしく手に持った女の濡手拭を、引手繰るようにぐいと取った。「まあ。」「ばけもののする事だと思って下さい。丑満時で、刻限が刻限だから。」 ほぼその人がらも分ったので、遠慮なしに、半調戯うように、手どころか、するす・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・かれは黙して杯を受けて、ぐいと飲み干したが、愁然として頭を垂れた。そして杯を下に置いた。突然起って、『いや大変酔った、さようなら。』 自分は驚いて止めたが、止まらなかった。『どうかまた来てください、』と自分のいう言葉も聞いたか聞かな・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・そして、家のようなうず高い薪の堆積にぐいと力を入れた。薪は、なだれのように、居眠りをしている×××の頭上を××××、××した。ぐしゃッと人間の肉体が××××音が薪の崩れ落ちる音にまじった。「あ、あぶない、あぶない。薪がひとりでに崩れちゃ・・・ 黒島伝治 「鍬と鎌の五月」
・・・女が鉄瓶を小さい方の五徳へ移せば男は酒を燗徳利に移す、女が鉄瓶の蓋を取る、ぐいと雲竜を沈ませる、危く鉄瓶の口へ顔を出した湯が跳り出しもし得ず引退んだり出たりしている間に鍋は火にかけられる。「下の抽斗に鰹節があるから。と女は云いながら・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・幸にそれにはちょっとした糸がついていたので、ぐいとその糸を引くと、針はすらりと抜ける。「もう一と月からになるのですのに、ずっと私そんなでしたものですから、今日は気分はいいし、私の方からそう言って、これを言いつかったのですのに」「かま・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ 私は立って着物の裾の塵をぱっぱっと払い、それから、ぐいと顎をしゃくって、「おい、君。タンタリゼーションってのは、どうせ、たかの知れてるものだ。かえって今じゃ、通俗だ。本当に頭のいい奴は、君みたいな気取った言いかたは、しないものだ。・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・小さい盃の中の酒を、一息にぐいと飲みほしても、周囲の人たちが眼を見はったもので、まして独酌で二三杯、ぐいぐいつづけて飲みほそうものなら、まずこれはヤケクソの酒乱と見なされ、社交界から追放の憂目に遭ったものである。 あんな小さい盃で二、三・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・と言って、またぐいと飲みほす。なんの風情も無い。 そうしてこんどは、彼が私に注いでくれて、それからまた彼自身の茶碗にもなみなみと一ぱい注いで、「もう無い」と言った。「ああ、そう」と私は上品なる社交家の如く、心得顔に気軽そうに立ち・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・い、これに日々わずかの残飯を与えているという理由だけにて、まったくこの猛獣に心をゆるし、エスやエスやなど、気楽に呼んで、さながら家族の一員のごとく身辺に近づかしめ、三歳のわが愛子をして、その猛獣の耳をぐいと引っぱらせて大笑いしている図にいた・・・ 太宰治 「畜犬談」
出典:青空文庫