・・・肩から手にかけて知らず知らず力がこもって、唾をのみこむとぐっと喉が鳴った。その時には近所合壁から大人までが飛び出して来て、あきれた顔をして配達車とその憐な子供とを見比べていたけれども、誰一人として事件の善後を考えてやろうとするものはないらし・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・ と仰向けに目をぐっと瞑り、口をひょっとこにゆがませると、所作の棒を杖にして、コトコトと床を鳴らし、めくら反りに胸を反らした。「按摩かみしも三百もん――ひけ過ぎだよ。あいあい。」 あっと呆気に取られていると、「鉄棒の音に目を・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ところで、粥が出来たが一杯どうじゃ、またぐっと力が着くぜ。」「何にも喰べられやしませんわ。」と膠の無い返事をして、菊枝は何か思出してまた潸然とするのである。「それも可いよ。はは、何か謂われると気に障って煩いな? 可いや、可いやお前に・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・坂を下りて、一度ぐっと低くなる窪地で、途中街燈の光が途絶えて、鯨が寝たような黒い道があった。鳥居坂の崖下から、日ヶ窪の辺らしい。一所、板塀の曲角に、白い蝙蝠が拡ったように、比羅が一枚貼ってあった。一樹が立留まって、繁った樫の陰に、表町の淡い・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ そして、眼を閉じて、ぷんと異様な臭いのする盃を唇へもって行き、一息にぐっと流し込んだ。急にふらふらっと眩暈がした咄嗟に、こんな夫婦と隣り合ったとは、なんという因果なことだろうという気持が、情けなく胸へ落ちた。 翌朝、夫婦はその温泉・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ 呶鳴るように言うと、紀代子もぐっと胸に来て、「うろうろしないで早く帰りなさい」 その調子を撥ね飛ばすように豹一は、「勝手なお世話です」「子供のくせに……」 と言いかけたが、巧い言葉が出ないので、紀代子は、「教護・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ 驚いた顔へぐっと寄って来て、「――それもあんた、自家製の特効薬でしてね。わたしが調整してるんですよ」「――そいつア、また。……ものによっては、一服寄進にあずかってもよいが、いったい何に効くんだい?」「――肺病です。……あき・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ といよいよその最後まで同じ調子で追求して来たのを聞くと、吉田はにわかにぐっと癪にさわってしまった。それは吉田が「そこまで言ってしまってはまたどんな五月蝿いことになるかもしれない」ということを急に自覚したのにもよるが、それと同時にそこま・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・ 彼等は、ぐっと胸を突かれるような気がした。「おい、俺れゃ、今やっと分った。」と吉原が云った。「戦争をやっとるのは俺等だよ。」「俺等に無理にやらせる奴があるんだ。」 誰かが云った。「でも戦争をやっとる人は俺等だ。俺等がや・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・大きくない魚を釣っても、そこが遊びですから竿をぐっと上げて廻して、後ろの船頭の方に遣る。船頭は魚を掬って、鉤を外して、舟の丁度真中の処に活間がありますから魚を其処へ入れる。それから船頭がまた餌をつける。「旦那、つきました」と言うと、竿をまた・・・ 幸田露伴 「幻談」
出典:青空文庫