・・・然るにどこからか黒犬が一匹、一行のさまよっていた渓谷に現れ、あたかも案内をするように、先へ立って歩き出した。一行はこの犬の後に従い、一日余り歩いた後、やっと上高地へ着することが出来た。しかし犬は目の下に温泉宿の屋根が見えると、一声嬉しそうに・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・山に囲まれた細長い渓谷は石で一面に埋められているといってもいい。大きなのやら小さなのやら、みかげ石のまばゆいばかりに日に反射したのやら、赤みを帯びたインク壺のような形のやら、直八面体の角ばったのやら、ゆがんだ球のようなまるいのやら、立体の数・・・ 芥川竜之介 「槍が岳に登った記」
・・・ 割合に土が乾いていればこそで――昨日は雨だったし――もし湿地だったら、蝮、やまかがしの警告がないまでも、うっかり一歩も入れなかったであろう。 それでもこれだけ分入るのさえ、樹の枝にも、卒都婆にも、苔の露は深かった。……旅客の指の尖・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・かつ在官者よりも自由であって、大抵操觚に長じていたから、矢野龍渓の『経国美談』、末広鉄腸の『雪中梅』、東海散士の『佳人之奇遇』を先駈として文芸の著述を競争し、一時は小説を著わさないものは文明政治家でないような観があった。一つは憲法発布が約束・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・ければ了解らない、聖書を単に道徳の書と見て其言辞は意味を為さない、聖書は旧約と新約とに分れて神の約束の書である、而して神の約束は主として来世に係わる約束である、聖書は約束附きの奨励である、慰藉である、警告である、人はイエスの山上の垂訓を称し・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・ 奇蹟が、あらわれるときは、かつて警告というようなものはなかったでしょう。そして、それは、やはり、こうした、ふだんの日にあらわれたにちがいありません。 青年は、今日もまた空想にふけりながら、沖をながめていました。ふと、その口笛は止ま・・・ 小川未明 「希望」
・・・しかし自分の眼底にはかの地の山岳、河流、渓谷、緑野、森林ことごとく鮮明に残っていて、わが故郷の風物よりも幾倍の色彩を放っている。なぜだろう?『月光をして汝の逍遙を照らさしめ』、自分は夜となく朝となく山となく野となくほとんど一年の歳月を逍・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・と二三度も警告を発しておいたじゃないか。」「待ちませんはあなたの口癖ですよ。」「だれがそんな癖をつけました、わたしに。」 武は思わずクスリと笑った。「それじゃどうあっても待ってくださらんの。」「マア待ちますまい、癖になる・・・ 国木田独歩 「二老人」
・・・しかるに翌四月八日に平ノ左衛門尉に対面した際、日蓮はみたび、他国の来り侵すべきことを警告した。左衛門尉は「何の頃か大蒙古は寄せ候ふべき」と問うた。日蓮は「天の御気色を拝見し奉るに、以ての外に此の国を睨みさせ給ふか。今年は一定寄せぬと覚ふ」と・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ ソレ、お前の竿に何か来たよ。 警告すると、少年は慌てて向直ったが早いか敏捷に巧い機に竿を上げた。かなり重い魚であったが、引上げるとそれは大きな鮒であった。小さい畚にそれを入れて、川柳の細い枝を折取って跳出さぬように押え蔽った少年は・・・ 幸田露伴 「蘆声」
出典:青空文庫