・・・この貴重な秘庫を民間奇特者に解放した一事だけでも鴎外のような学術的芸術的理解の深い官界の権勢者を失ったのは芸苑の恨事であった。 鴎外は早くから筆蹟が見事だった。晩年には益々老熟して蒼勁精厳を極めた。それにもかかわらず容易に揮毫の求め・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ 沼南の五十年の政治家生活が終に台閣の椅子を酬いられなかったのは沼南の志が世俗の権勢でなかったからばかりではない。アレだけの長い閲歴と、相当の識見を擁しながら次第に政友と離れて孤立し、頼みになる腹心も門下生もなく、末路寂寞として僅に廓清・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 勿論、演壇または青天井の下で山犬のように吠立って憲政擁護を叫ぶ熱弁、若くは建板に水を流すようにあるいは油紙に火を点けたようにペラペラ喋べり立てる達弁ではなかったが、丁度甲州流の戦法のように隙間なく槍の穂尖を揃えてジリジリと平押しに押寄・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・当時の大官貴紳は今の政友会や憲政会の大臣よりも遥に芸術的理解に富んでいた。 野の政治家もまた今よりは芸術的好尚を持っていた。かつ在官者よりも自由であって、大抵操觚に長じていたから、矢野龍渓の『経国美談』、末広鉄腸の『雪中梅』、東海散士の・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・富も名声も権勢もあったものではない。一分間でも早く書き上げて、近所の郵便局から送ってしまうと、そのまま蒲団の中にもぐり込んで、死んだようになって眠りたい。ただそのことだけを想い続けていた。締切を過ぎて、何度も東京の雑誌社から電報の催促を受け・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・と筆を投じて憤りを示したほどであったが、当時は順逆乱れ、国民の自覚奮わず、世はおしなべて権勢と物益とに阿付し、追随しつつあった。荘園の争奪と、地頭の横暴とが最も顕著な時代相の徴候であった。 日蓮の父祖がすでに義しくして北条氏の奸譎のため・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・政友会とか、憲政会とか云えば彼等には分る。だが、既成と、無産になると一寸分りにくい。 社会主義と云えば、彼等は、毛虫のように思っている。 だが、彼等は、その毛虫の嫌う、社会主義によらなければ、永久の貧乏から免れないのだ。 それを・・・ 黒島伝治 「選挙漫談」
・・・現世の歓楽・功名・権勢、さては財産をうちすてねばならぬのこり惜しさの妄執にあるのもある。その計画し、もしくは着手した事業を完成せず、中道にして廃するのを遺憾とするのもある。子孫の計がいまだならず、美田をいまだ買いえないで、その行く末を憂慮す・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・病疾其他の原因から夭折し、当然享くべく味うべき生を、享け得ず味わい得ざるを恐るるのである、来世の迷信から其妻子・眷属に別れて独り死出の山、三途の川を漂泊い行く心細さを恐るるのもある、現世の歓楽・功名・権勢、扨は財産を打棄てねばならぬ残り惜し・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・肘と肘とをぶっつけ合い、互いに隣りの客を牽制し、負けず劣らず大声を挙げて、おういビイルを早く、おういビエルなどと東北訛りの者もあり、喧々囂々、やっと一ぱいのビイルにありつき、ほとんど無我夢中で飲み畢るや否や、ごめん、とも言わずに、次のお客の・・・ 太宰治 「禁酒の心」
出典:青空文庫