哀愁の詩人ミュッセが小曲の中に、青春の希望元気と共に銷磨し尽した時この憂悶を慰撫するもの音楽と美姫との外はない。曾てわかき日に一たび聴いたことのある幽婉なる歌曲に重ねて耳を傾ける時ほどうれしいものはない、と云うような意を述・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・「あの煙と、この雨を見ると、何だか物凄くって、あるく元気がなくなるね」「今から駄々を捏ねちゃ仕方がない。――壮快じゃないか。あのむくむく煙の出てくるところは」「そのむくむくが気味が悪るいんだ」「冗談云っちゃ、いけない。あの煙・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・中々元気のよい講義をする人で、調子附いて来ると、いつの間にか、英語の発音がドイツ語的となって、ゲネラチョーン・アフタ・ゲネラチョーン*1などとなった。こういう外人の教師と共に、まだ島田重礼先生というような漢学の大儒がおられた。先生は教壇に上・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・ もう、水の中に入らねばしのげないという日盛りの暑さでもないのに、夕方までグラウンドで練習していた野球部の連中が、泥と汗とを洗い流し、且つは元気をも誇るために、例の湖へ出かけて泳いだ。 ところがその中の一人が、うまく水中に潜って見せ・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・おばアさん相変らず御元気じゃナア。」「いいエおばあアはもうぼれてしもてなんの益にもたたんのヨ。」「おいさんはお留守かな。」「おいさんは親類だけ廻るというて出たのじゃけれ、もうもんて来るじゃあろ。」「それじゃアあたしも親類だけ廻って来よう。道・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・ みんなもすっかり元気になってついて行きました。「だれだ、時間にならないに教室へはいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して言いました。「お天気のいい時教室さはいってるづど先生にうんとしからえるぞ。」窓の下の・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・ やがて、赤い布で凜々しく髪を包んだ二十二三のこれも元気な婦人労働者が、何冊もの本を小脇にかかえて入って来た。「――図書室の本が、まだモスクワから届かないんだってさ。手紙をやりましょうね」「お客さんよ」 その文化委員の婦人労・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・あの時代の現実は、青鞜社の時代で新しい歴史の頁をひらこうとした勇敢な若い婦人たちは、衒気を自覚しないで行動した頃であった。それにしろ、何か当時の漱石の文体が語っているようなある趣味で藤尾その他は描かれている部分が少くないように思える。最も面・・・ 宮本百合子 「歴史の落穂」
・・・どの顔も蒼ざめた、元気のない顔である。それもそのはずである。一月に一度位ずつ病気をしないものはない。それをしないのは木村だけである。 木村は「非常持出」と書いた札の張ってある、煤色によごれた戸棚から、しめっぽい書類を出して来て、机の上へ・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・ そう勘次が静に云うと、安次は急に元気な声で早口に、「すまんこっちゃ、すまんこっちゃ。」 と云いながら続けさまに叩頭した。勘次は落ちつけば落ちつく程、胸の底が爽やかに揺れて来た。が、秋三は勘次の気持を見破ると、盛り上って来た怒り・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫