・・・どうか後生一生のお願いですから、人間の脚をつけて下さい。ヘンリイ何とかの脚でもかまいません。少々くらい毛脛でも人間の脚ならば我慢しますから。」 年とった支那人は気の毒そうに半三郎を見下しながら、何度も点頭を繰り返した。「それはあるな・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・「お前のお母さんなんぞは後生も好い方だし、――どうしてああ苦しむかね。」 二人はしばらく黙っていた。「みんなまだ起きていますか?」 慎太郎は父と向き合ったまま、黙っているのが苦しくなった。「叔母さんは寝ている。が、寝られ・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・「それだけまた、後世 そう話がわかっていれば、大に心づよい。どうせこれもその愚作中の愚作だよ。何しろお徳の口吻を真似ると、「まあ私の片恋って云うようなもの」なんだからね。精々そのつもりで、聞いてくれ給え。 お徳の惚れた男と云うのは、・・・ 芥川竜之介 「片恋」
・・・が、突然涙ぐんだ眼を挙げると、「あなた、後生ですから、御新造を捨てないで下さい。」と云った。 牧野は呆気にとられたのか、何とも答を返さなかった。「後生ですから、ねえ、あなた――」 お蓮は涙を隠すように、黒繻子の襟へ顎を埋めた・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・ああ云う大嗔恚を起すようでは、現世利益はともかくも、後生往生は覚束ないものじゃ。――が、その内に困まった事には、少将もいつか康頼と一しょに、神信心を始めたではないか? それも熊野とか王子とか、由緒のある神を拝むのではない。この島の火山には鎮・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・と云う僕の短篇の校正刷を読んでくれたりした。……… そのうちにいつかO君は浪打ち際にしゃがんだまま、一本のマッチをともしていた。「何をしているの?」「何ってことはないけれど、………ちょっとこう火をつけただけでも、いろんなものが見・・・ 芥川竜之介 「蜃気楼」
・・・その登志雄が与志雄と校正されたのは、豊島に会ってからの事だったと思う。 初めて会ったのは、第三次の新思潮を出す時に、本郷の豊国の二階で、出版元の啓成社の人たちと同人との会があった、その時の事である。一番隅の方へひっこんでいた僕の前へ、紺・・・ 芥川竜之介 「豊島与志雄氏の事」
・・・今では或雑誌社の二階に、校正の朱筆を握っている。が、彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思い出す事がある。全然何の理由もないのに?――塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断・・・ 芥川竜之介 「トロッコ」
・・・口が開いたり、目が動いたりする後世の人形に比べれば、格段な相違である。手の指を動かす事はあるが、それも滅多にやらない。するのは、ただ身ぶりである。体を前後にまげたり、手を左右に動かしたりする――それよりほかには、何もしない。はなはだ、間のの・・・ 芥川竜之介 「野呂松人形」
・・・今日に至るまで、これらの幼稚なる偶像破壊者の手を免がれて、記憶すべき日本の騎士時代を後世に伝えんとする天主閣の数は、わずかに十指を屈するのほかに出ない。自分はその一つにこの千鳥城の天主閣を数えうることを、松江の人々のために心から祝したいと思・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
出典:青空文庫