・・・この映画の独自な興味は結局太鼓の音と靴音とこれに伴なう兵隊の行列によって象徴された特異なモチーフをもって貫かせた楽曲的構成にあると思われる。そうしてその単純明白なモチーフが非常に多面的立体的に取り扱われているために、同じものの繰り返しが少し・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・トナカイが死地に陥って敢然たる攻勢を取り近寄る犬どもを踏みつぶそうとする光景は獣類とはいえ悲壮である。いかなる名優の活劇でも、これに比べてはおそらく茶番のようなものである。それからの後の場面で荒涼たる大雪原を渡ってくるトナカイの大群の実写は・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・カルネラはこれに対して不断に攻勢を取って、単調な攻撃をほぼ一様なテンポで繰り返しているように思われた。なんとなく少しあせりぎみで、早く片を付けようとして結末を急いでいるらしく自分には思われた。ちょっと見たところでは、ベーアのほうは負けかかっ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・あるいはその被試験者の友人なり、また場合によっては百年も千年も後世に生まれた同情者が、当人に代わって、あるいは当人に取り憑かれるか取り憑くかして、歌い悲しみ、また歌い喜ぶのである。たとえば、われわれは自分の失恋を詩にすることもできると同時に・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・須永というあまり香ばしからぬ役割の作中人物の所業としてそれが後世に伝わることになってしまった。そのせいではないが往来で葉巻を買って吸付けることはその時限りでやめてしまった。 ドイツからパリへ行ったら葡萄酒が安い代りに煙草が高いので驚いた・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・ 反対に、間違ったのを正しく読むのは校正の場合の大敵である。これを利用して似寄った名前の偽似商品を売るのもある。 たとえばゴルフの大家梅木鶴吉という人があるとする。そうして書店の陳列棚に「ゴルフの要訣、梅本鶴吉著」という本があった・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・お寺へ金を納めて後生を願うのでもそうであり、泥棒の親分が子分を遊ばせて食わせているのでもそうである。それが善い悪いは別としてこの世の事実なのである。 さるのような人もありかにのような人もあるというのも事実であって、それはこの世界にさるが・・・ 寺田寅彦 「さるかに合戦と桃太郎」
・・・「どうかもう少し願います。後生だから……」そう云って歎願しているが、さっきの人達はもう行ってしまって、それに代る助力者も急には出て来なかった。 馬はと見ると電柱につながれてじっとして立っていた。すぐその前に水を入れた飼葉槽が置いてあるが・・・ 寺田寅彦 「断片(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・そして結局何かしら不祥な問題でも起してやはり汚名を後生に残したかもしれない。 こういう点でどこかスパランツァニに似ている。優れた自由な頭脳と強烈な盲目の功名心の結合した場合に起りやすい現象であると思う。 この随筆中に仏書の悪口をいう・・・ 寺田寅彦 「断片(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・自分の文章の校正刷りを見る時に顕著な誤植を平気で読み過ごすと同じような誤謬が、不完全なレコードを完全に聞かせるに役立つ場合も可能である。 畢竟蓄音機をきらいなものとするか、おもしろいものとするかは聞く人の心の置き方でずいぶん広い範囲内で・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
出典:青空文庫