・・・それが余り突然だったので、適当な後任を物色する余裕がなかったからの窮策であろう。自分の中学は、当時ある私立中学で英語の教師を勤めていた、毛利先生と云う老人に、今まで安達先生の受持っていた授業を一時嘱託した。 自分が始めて毛利先生を見たの・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・なぜなれば、すべてこれらは国法によって公認、もしくはなかば公認されているところではないか。 そうしてまた我々の一部は、「未来」を奪われたる現状に対して、不思議なる方法によってその敬意と服従とを表している。元禄時代に対する回顧がそれである・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・その頃村山龍平の『国会新聞』てのがあって、幸田露伴と石橋忍月とが文芸部を担任していたが、仔細あって忍月が退社するので、その後任として私を物色して、村山の内意を受けて私の人物見届け役に来たのだそうだ。その時分緑雨は『国会新聞』の客員という資格・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・文人が公民権が無くとも、代議士は愚か区会議員の選挙権が無くとも、社会的には公人と看做されないで親族の寄合いに一人前の待遇を受けなくとも文人自身からして不思議と思わなかった。寧ろ文人としては社会から無能者扱いを受けるのを当然の事として、残念と・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・そこで、田島はその生活費の補助をするという事になり、いまでは、築地の寮でも、田島と青木さんとの仲は公認せられている。 けれども、田島は、青木さんの働いている日本橋のお店に顔を出す事はめったに無い。田島の如きあか抜けた好男子の出没は、やは・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・ 彼の公人としての生涯の望みは教員になる事であった。それでチューリヒのポリテキニクムの師範科のような部門へ入学して十七歳から二十一歳まで勉強した。卒業後彼をどこかの大学の助手にでも世話しようとする者もあったが、国籍や人種の問題が邪魔にな・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・しかし今までのところでまだ学芸方面において世界第一人者として、少なくとも公認されたものの数のはなはだしく希少なことについては、これにはまたいろいろの「事情」があるようである。 今ここでこの事情なるものの分析を試みるべき筋ではないが、とも・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・この椎茸少々宜しからぬ事があって途中から免職になったのはよかったが、その後任の爺さんがドーモ椎茸でなかったので坊チャン一通りの不平でない。これにはさすがの両親も持て余したと云う。 寺田寅彦 「車」
・・・せっかく続けている観測も上長官が交迭して運悪く沿革も何も考えぬような後任者が来ると、こんな事やっても何にもならんじゃないかの一言で中止になるという恐れがあった。おまけに万一にも眼界の狭い偏執的な学者でも出て来て、自分に興味のないような事項の・・・ 寺田寅彦 「新春偶語」
・・・しかし後にはそうではなくて先任者が順々に後任者を推薦し選定するようになった。従って自然に人員の個性がただ一色に近づいて来るという傾向が生じたのではないかという気がする。どちらがいいか悪いかは別問題であるが、昔の人選法も考えようによってはかえ・・・ 寺田寅彦 「相撲」
出典:青空文庫