・・・と、芸術の光背を負うて陸離たるが如くあった室生犀星氏が、近頃の抱負として「家ではよき父であり夫であり、規律を守り一家一糸をも乱さず暮したい」「対人的には朋友を信じ博愛衆に及ぼし」近衛文麿、永井柳太郎等が文学を判ろうとしている誠意に感奮して、・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
・・・特に、それぞれの外国語で権威といわれる立場にいて後輩をもち、学閥をもっていた人々にとって。日本の社会は封鎖されていて、外国語は特権階級の教養であった。したがって、外国文学または外国語で働く人は作家とはまたちがう一種の特別なものとしての自覚を・・・ 宮本百合子 「文化生産者としての自覚」
・・・M氏程まだ充分イギリスを内臓へ吸収せぬ後輩、あるいははるばる官費で英国視察に来た連中が時間と語学の不足から彼のもとへ駈け込み、集約英国観察供給方を依頼する。 時に例えば某学校長のような訪問客さえある。校長君の意見によると英国を英国たらし・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・ 暫くして畑の後輩で、やはり幹事に当っている男が、我々を余興の席へ案内した。宴会のプログラムの最初に置かれたものを余興と称しても、今は誰も怪まぬようになっているのである。 余興の席は廊下伝いに往く別室であった。正面には秋水が著座して・・・ 森鴎外 「余興」
・・・麦積山の創始の時代、すなわち五世紀から六世紀へかけての時代には、中央アジアはまだあまり荒廃せず、盛んな文化創造をやっていたはずである。従ってあの地方の諸都市に、ちょうどそのころガンダーラからアフガニスタンへかけて栄えていた塑像の技術が伝わっ・・・ 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
出典:青空文庫