・・・弱い日本の資本主義がどんな危険な冒険に着手したかということを人民から覆うために国際的経済政治統計はもちろん、文化の国際的な交流さえ禁じた。左右にめかくしをかけられた人民は、戦争遂行という前方の外を見ようにも見られない状態におかれた。はじめは・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
・・・明治、大正時代の日本資本主義の興隆期に向っていた権力者たちが、中国と当時のロシアに対して他の列強資本主義が抱いていた利害関係との一致において敢行したことだった。だから、中国に対する日本の後進国帝国主義の侵略の結果は、その潮のさしひきの間に三・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
・・・日本の一九四七年にブルジョア民主主義の完成を求めるというひとは、どこにその実際の経済的地盤――次第に興隆に向いつつある若い資本主義を見出そうというのだろう。日本の全人民が収入の七割以上を税金にとられ、終戦費がそこから出されてもゆく、そのどこ・・・ 宮本百合子 「真夏の夜の夢」
・・・聊か政治的批評もするヨーロッパの文士は、日本人絹業の興隆、その背後の力とリオンの絹業者の破産との相互関係も知っているであろう。又、スイスの時計生産を圧迫している日本製時計、自転車の大量輸出と日本の世界最低の労働賃銀のことをも知っているであろ・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
・・・けれども、子供はもってよいというひとが、どうして、その前の、男女の結合の形態を、社会常識の上でもっと広やかで自然な、人間的な、相互交流の形に高めようとする情熱を感じないのであろう。その情熱ぬきに、子供の側から見れば、それが多くの場合歴史的な・・・ 宮本百合子 「未開の花」
・・・八十五歳という長寿を保ったこの漢学者の生涯の時期は、日本では、有名な元禄時代の商人興隆時代、文化の華やかな開花の時代、文学の方面では芭蕉、西鶴、近松門左衛門などがさかんな活動をとげた時代と、流れを一つにしている。経済の中心が町人の階級にうつ・・・ 宮本百合子 「三つの「女大学」」
・・・「われわれはこの民族の偉大な興隆のほんの始まりに居合わせただけなのです」という観念と「かれらは受身でおとなしく、機械のなかにあるなにか攻撃的なものを排撃します。それでいて、西洋文明のうちでもいちばん悪い戦争の道具はこれをとりあげるようなはげ・・・ 宮本百合子 「「揚子江」」
・・・生きて、交流して、たがいに響き合うなにかが欠けていた。これは議事の進めかたとも関係があっただろう。しかしながら、やっぱり感銘としてはそのものたりなさが深くのこった。徳永直が折にふれてよくいう文学的なぬくもりの不足という言葉も思い浮んだ。・・・ 宮本百合子 「両輪」
・・・ 日本の資本主義が興隆期であった頃の立身出世が、今日ないのは分りきったことではないであろうか。現実に無くなってしまっているものとの漠然たる対比で、現在を下らながるのは、とことんのところにまだ矢張り昔の立身出世を心に置いているからである。・・・ 宮本百合子 「若き時代の道」
・・・明治・大正の女流教育家たちは、その解釈を、日本資本主義の興隆期らしい楽天性と卑俗性とで与えた。人間は目的を持って努力の生活をすれば、自ら身体は強健になり、蓄財も出来、老後は天命を楽しめるのである。「怒るな。働け」と。 今日の生活は、こう・・・ 宮本百合子 「私たちの社会生物学」
出典:青空文庫